以前ここで寝取られ短編小説を投稿してたものです。
前作が一年くらい前なので忘れてる方も多いと思いますが、
また年に数作くらいは書いて投稿していきたいな、と思ってます。

早速次回作の話なんですが、
いつか書きたいと思っていた魔法少女ものがありました。、
しかしその設定が最近発表された某エロゲと全く一緒なので二の足を踏んでますが、
まぁ売り物にするわけでもないし、と開き直って書き始めることにしました。
一話完結もので全五話くらい? のシリーズものにしたいと思ってます。
これなら長編が苦手な自分でもいけそうです。
一話づつ投稿すべきか、全部書いてから投稿するかは決まってません。
そもそもここに投稿出来るレベルの話が書けるかもわかりませんし。
それではまた。

授業が終わると誰もが速やかに帰り支度を済ませ、静かに教室を去っていく。
クラスメイトと談笑する者すらいない。
まるで何度も繰り返され、洗練されきった行軍のようだ。
清流に浮かぶ木の葉のように、流れるように帰宅していく。
高校生活という環境においてはやや異様な光景にも映るが、
最近では流石に慣れてきた。
むしろ見惚れるほどに感心する。

流石は名門進学校ということなんだろうか。
それも高校三年生の秋も深まるこの時期ともなれば尚更だろう。
いわゆる進学校というものに編入してきたのは初めてだけれど、
どこもこの時期はこんな感じなのだろうか、と不思議に思う。
休み時間ですら青春を謳歌する喧騒は聞こえない。
トイレに立つ生徒の、扉の開閉音が聞こえる程度だ。
とはいえ不思議なもので、けして険悪な雰囲気というわけではない。
一種の緊張状態ではあるものの、それはまるで試合前のロッカールームのよう。
お互いを戦友と認め、敬意を払っているからこその、
暗黙の了解のように漂う静寂。

そんな時期に転校してきて申し訳ないと思わないでもないが、
この様子だと大半の生徒は僕のことを気にもしていない。
親の仕事の事情なのだから、僕が負い目を感じる必要などこれっぽっちもないのだが、
生まれもった卑屈さというものはどうしようもない。
心優しい人たちは、僕のこの内面性について
「幼少期から親の都合で、転校を繰り返せざるをえなかった境遇に問題がある」
と擁護してくれるかもしれないが、生憎とこの性格は先天的なものだったと思う。
物心がついたころから、ポストが赤いのも自分の所為だと罪悪感を抱いていたに違いない、
と自らの卑屈さに関しては絶対的な自信がある。

そんな人間が社交的な転校生を演じられるわけがない。
特に「どうせ今回も数ヶ月で転校するに決まっている」とわかっているなら尚更だ。
僕は転校先々で、地味で大人しい自分を演じていた。
なるべく異分子にならないよう、空気になるよう徹していた。
まぁ演じるも何も、元々そういう性格なのだが。
当然友達や恋人といえるものなど出来た試しがない。
正直憧れたりはする。
いわゆうそういう青春に。
でもそういったものと程遠い現状を、寂しいと思ったことはない。
たとえ転校という要素が無くとも、僕には元々そういうものとは縁がなかったろうと諦められるからだ。
たまには卑屈な性格も役に立つ。

見た目は冴えない。
少し太っている。
背も低いほうだ。
鏡を覗くと腫れぼったく瞼が眠そうに重く垂れている。
そのうえ致命的なのが、コミュニケーション能力が圧倒的に不足している。
そんな僕が短期の転校を繰り返す上で、
成功と失敗を判断する基準は
『友達が出来たか否か』ではない。
『苛められたか否か』である。
今のところ勝率は五分五分といったところだろうか。
自分の容姿や内面を客観的に捉えると、
個人的にはまぁまぁの戦績だと思う。
どこも最初はすれ違いざまに小突いてきたり、
授業中に消しゴムのカスを投げつけてくる程度だ。
そこで黙っていたりヘラヘラ笑っていると、
向こうもアクセルを踏んでくるのだが、
大体は加速し始める前に次の学校へ転校している。

なので今のこの学校での状況は、とても理想に近い。
誰も陰気な転校生に関わっている暇など無いのだ。
変な表現だとは思うが、僕は誰に気を使うでもなく、
羽を伸ばして空気に徹することが出来る。
仮初のクラスメイト達がぞろぞろと教室を後にしていくのを、
緩慢な動作で帰り支度を整えながら眺める。
するとその清流に逆らうように、一枚の葉っぱが僕の席へと流れ着く。
こんな僕に、毎日話しかけてくる奇特な人間もいる。
「や。転校生君は帰らないのかい?」
彼女は僕を見下ろしながら、笑顔を浮かべる。
いつもながら、自然な笑顔だった。
その表情が羨ましい、と心の底から思った。
自然に笑うのは、僕にとってはとても難しい。
頬が引きつるだけだ。

彼女は名は木葉(このは)さん。
このクラスのクラス委員をしている。
転校初日に校内を案内してもらっていたから顔と名前を憶えていた。
僕が記憶しているこのクラス唯一の生徒だといっていいだろう。
そして彼女もまた、僕の名前を記憶しているこのクラス唯一の生徒だろう。
とはいえ彼女は僕を『転校生君』と呼ぶ。
一週間前のことだった。
彼女は転校してきたばかりの僕を、わざわざ放課後に時間を使って、
学校の中を案内してくれた。
正直内心では、(どうせ殆ど愛着も持たないまま転校するんだし)
と面倒くさくも思っていたのだが、
わざわざ先生からも指示されていたそうなので、
頑なに断るほうが面倒臭いと思い、黙ってついていった。

色々と当たり障りのない会話をしながらも、
ブラブラと校内を30分ほど歩いた。
好きなバンドや映画、嫌いな教科。
何気ない話題を向こうのほうから振ってきてくれたが、
僕はそのどれもをわざと億劫そうに答えた。
どこにでもこういうお節介タイプの人間はいる。
周りの評価の為に利他的になる人間もいれば、
他意はなく、純粋な善意で接してくれる人間もいる。
彼女は後者だとすぐにわかった。
わざと距離を取るような僕の冷たい対応でも、
とくに嫌な顔をせずにあくまで自然体で接してきたからだ。
だからといって、彼女と仲良くなりたいなどと思うこともない。
どうせすぐにお互い名前も顔も忘れるような縁なのだ。

そんな折、ふと下の名前で呼ばれた。
彼女なりの距離の詰め方だったのだろう。
ただでさえ中途半端な時期の転校生。
多少強引にでも仲良くなろうと思ったのかもしれない。
彼女は有体にいって美人にクラスわけされる顔つきだったので、
僕は隠す素振りもなく、盛大に照れた。
女性と喋る機会など、コンビニの店員とくらいしかないのだ。
とはいえ素直に照れれるほど可愛げがあるわけでもなく、
「俺、自分の名前嫌いだから……」
と不機嫌そうに呟くことしか出来なかった。
ハードボイルドぶりたかった結果がこれである。
せいぜい一人称を『俺』にするのが精一杯だ。
しかし彼女はへこたれる様子もなく、
「じゃ、なんて呼べばいい?」とやはり自然に笑顔を浮かべた。
僕は狼狽した。
大概は僕みたいな容姿も内面も陰気な転校生がこういう振る舞いをすると、
(面倒くさそうな転校生がきた)とげんなりされるものだが、
彼女の表情からはそういう懸念が一切感じられなかった。

猫のような好奇心旺盛で愛嬌を感じさせる瞳が
「じゃあどう呼んでほしいの?」と言外に要求してくる。
「転校生、とかでいいよ」と滲む手汗を誤魔化しながら、
吐き捨てるようにそう言った。
「えー、そんなの変だよ」
眉をしかめて抗議される。
自分に向けられる豊かな表情に耐えられず目を逸らす。
その明朗さには、わざとらしさを一切感じない。
本来、こういう人間なのだろう。
「いいよ別に。どうせすぐ転校するし」
「そんな寂しいこと言わずにさ。いい名前だと思うんだけどな」
僕がそれっきり黙ってしまうと、彼女はため息をつきながら、
「ま、最初はそれでいいか。よろしくね。転校生君」
とぱんぱん肩を叩かれた。

そんな彼女との初対面を思い出しながら見上げる。
彼女は片手を細い腰に当てて、笑みを浮かべて僕を見下ろしている。
僕を見下ろす笑顔といえば嘲笑と相場が決まっていたのだが、
彼女の笑顔は常に友愛と好奇心のみが半々でブレンドされていた。
僕を見下ろしてはいるが、見下してはいない。
あまりに悪意の無いその笑顔に、逆に引く。
普段なら間違いなく、何かの罰ゲームで僕に近づかされているのだろう、
と考えるのだが、今回の学校に限ってはそんな風には思えない。
少なくとも今の時期は、皆自分のことしか考えていないのだ。
「いや、まぁ、帰るけど」
しどろもどろに答える。
「転校生君も予備校とか?」
首を少し傾げる。
左右の高い位置で縛っている長い髪が揺れる。

彼女はどちらかといえば童顔だと思うのだが、
やけに大人びた雰囲気を感じることもある。
細い顎や薄く小さい唇がミスマッチな色気を感じさせるのだろうか。
ブレザーも似合っている。
制服の上からでも、その中身がすらりとした細身であることが容易に伺える。
スーツを着たら、そのまま教壇に立っても違和感がないだろう。
いかにも新人教師、といった風体だ。
18才なのに大人っぽい、というよりは、
大人なのに、18才っぽい人、といった表現のが合っているのかもしれない。
年のわりに幼稚っぽい、と言いたいわけじゃない。
良い意味で若さが抜けきらない人、といった感じだ。
まぁ何にしても、同い年なのだが。

「俺、就職するつもりだから」
転校して一週間。
何かと話しかけてくるせいで、なんとかどもらず喋れるくらいには慣れた。
目を合わせて話すにはまだハードルが高い。
「あ、そうなんだ。奇遇だね。私もなんだ」
「え?」
驚き顔を上げる。そこには「ん?」と首を傾げたままの木葉さんがいた。
「何?」とニコニコしながら問い返してくる。
「いや、推薦だからのんびりしてるんだと思ってた」
「あー」と納得するように彼女は両手を軽く叩く。
「違う違う。ここで推薦なんて中々取れないよ」
「頭良さそうなのに」
「頭良いかはわかんないけど、自慢じゃないけど成績は良いんだよ」
「自慢だろそれ」
「わかる?」
おどけるようにふふん、と鼻を鳴らした。
「うざ」
内心その仕草を可憐とまで思ったのだが、
生憎こういった対応しか出来ない。

僕の悪態を気にする素振りもなく、彼女は無邪気に笑っている。
「いいねー。ナイスつっこみだねー」
僕は大げさにため息をつく。
ただのポーズだ。
仕方なく構ってやってるんだ、と虚勢を張る。
これが美少女クラス委員に話しかけられた、
根暗童貞転校生が持てる唯一の防衛手段である。
そんな僕の思惑なんか気にする素振りもなく、
木葉さんは一つ前の席に腰を下ろす。
これ以上女子とゆっくり、文字通り腰を据えて会話をしないといけないのか。
その上可愛いくて気さく。
湧き上がる感情は、歓喜よりもむしろ不安のが勝る。
会話のネタなんて何も無い。

気がつくと、教室は僕と木葉さんの二人きりになっていた。
嫌な汗が背中を流れる。
つまらない奴と思われたらどうしよう。
嫌われたらどうしよう。
そう思われたくないから、距離を取る。
あまりに矮小な考え。
転校生という肩書きは、その弱さを正当化する良い免罪符だった。
どうせすぐ転校するから。
そんな言い訳を隠れ蓑に、僕は他人を寄せ付けないようにした。
つまらない奴と思われたくないから。
嫌われたくないから。

木葉さんは僕の机に肘を乗せて頬杖をつくと「ふふ」と微笑みを浮かべて、
「なんだか『つまらない奴って思われたらどうしよう』なんて顔してるよ」
と事も無げに言い切った。
見透かされていることに恥辱、不安、恐怖を覚え顔が紅潮する。
言葉に詰まるが、もう面倒くさいので開き直ることにする。
「実際そう思ってたからな」
その返答が気に入ったのか、木葉さんはくすくすと笑う。
目の前であれ、陰からであれ、笑われるのは馬鹿にされてるのではないかと不安になる。
しかし木葉さんのそれは、単純に安心感を与えてくれる。
ただ面白いから笑っている。
そんな無垢な笑顔だった。
「ていうか、何か用なの?」
我ながらわざとらしく眉間に皺を寄せて、『気難しい転校生』を演出する。
「まぁ用っちゃ用だね」
「何? 告白の罰ゲームとかだったらさっさとやれよ」
「何言ってんの。小学生じゃあるまいし」
彼女はからからと笑った。

「クラスメイトとして、親睦を深めにきたんじゃないかキミー」
搾り出すように低い声を出しながら僕の肩を叩く。
どこの人事部長だこいつは。
「何か嘘くさいんだよ」
これは本音。
彼女からは僕に対する悪意は一切感じられない。
単純に良い奴、っぽい。
ただ何か明確な理由があって、僕に話しかけてきてる気がする。
こう見えても人間に対する観察力には自信がある。
それがないと、やってこれなかったから。
「もしかして、先生から何か言われたか? 『前の学校で苛められてたから、気を使ってやんなさい』とか」
「お、正解」
彼女は真顔で人差し指を立てた。
どうもあまりに飄々としていてやり辛い。
「だろうな」
別に僕だって気分を害したりはしない。
鬱陶しいとは思うが、当然の配慮だろう。
「ただ私としては、先生のそんな言葉とは関係無しに転校生君と仲良くなりたいんだけどね」
じっと僕の顔を覗き込む。
口元にはうっすら笑みが残っているが、目は笑っていない。
その表情は真剣そのもので、嘘を言っているようには見えない。

「なんだ? お金なんて持ってないぞ」
「そうじゃない。転校生君の力を借りたいんだ」
「力もないぞ」
「腕力の話じゃない。もちろん権力でもない。ただ仲間が欲しいの」
彼女の顔からは完全に笑みが消えていた。切迫感すら感じる。
「仲間?」
教室を見渡し、人気が無いのを確認すると、
彼女は身を乗り出し、顔を寄せると、用心深く呟いた。
鼻先に彼女の前髪が迫ると甘い香りが鼻腔をくすぐる。
暴力的なまでな異性を感じさせる芳香に頭が揺れそうだった。
落ち着きかけた鼓動がまた暴れだす。

「このクラスをどう思う?」
「どうって……まぁ受験に集中してるなって感じだけど。
 まぁ少し気ぃ張りすぎな感じがしないでもないけど」
つられて僕も小声になる。
「まぁ進学校ならある程度はこんな感じだろうね。
 それにしてもストレスを抱えてるだろうなって思ったでしょ?」
「何が言いたい?」
「単刀直入に言おうか?」
「さっさとそうしてくれ」と無言で要求するように耳をほじる。
彼女はより一層用心するように声のボリュームを落とす。
「覚せい剤に手を出しているクラスメイトが居る」

特に驚いた様子もなく、「ふーん」と返す僕に
「驚かないのかい?」と彼女は怪訝そうに眉をしかめる。
日本全国の学校を渡り歩いてきた僕にとっては、
日常茶飯事ということもないが、そこまで珍しい話でもない。
進学校だろうが優等生だろうが関係無い。
偏差値ではストレスと好奇心を制御できない。
「それで?」
「なんとか説得したいんだ」
「止めるように?」
「そう」
彼女の瞳は真っ直ぐ僕を捉える。
そこには思春期にありがちな薄っぺらい正義感や、
自己陶酔に浸っているヒロイズムなどは感じない。
彼女自身の根底にある確固たる哲学や信条を感じる。
彼女は、級友が道を外れようとしているのに、心から胸を痛めているのだろう。
だからといって、僕が手助けをする義理もない。
というか、出来ることなんて何も無い。

「放っとけばいいだろ」
席を立とうとする僕の肘を、彼女の小さな手が掴む。
「そういうわけにはいかないよ」
いくら非力な僕でも、その手を振りほどくなどあまりに容易い。
しかし、そうは出来なかった。
もう一度ゆっくりと腰を下ろす。
「というか、俺に出来ることなんて無いだろ」
「一緒に居てくれるだけでいい。いや、私がその子と話をしている間、
 どこか物陰に隠れてくれるだけでいいんだ。最悪襲われても、間に入る必要もない」
「ただ助けを呼びにいってくれれば良い、ってか」
彼女は真剣な眼差しでこくりと頷く。
「そう。それだけで良いの」
「そいつ誰なの? お前の彼氏?」
今度は首を横に振る。
「そうだったら自分で殴ってでも止めさせるよ」

「友達?」
「というほどでもない」
「じゃあやっぱり放っておけよ」
「見過ごしたくないの」
僕の瞳を真剣に捉え続けたまま、きっぱりと言い切る。
あまりに真っ直ぐな瞳に耐え切れない。視線を逸らす。
どう言葉を返せばいいのかわからず会話が途切れる。
静寂。
夕日が差す窓の外からは、運動部の掛け声が漏れてくる。
「私の」
先ほどの意識的に抑えた小声とは違い、
自然に弱弱しくなったとしか思えないか細い声。
「私のお父さんって警察官だったんだ。
 小学校の頃にいわゆる殉職ってやつで亡くなったんだけど」
そこで一旦言葉が途切れる。

ああそれで就職希望なのか、と勝手に母子家庭の経済事情を推測した。
黙って言葉の続きを待つ。
「私ね、そんなお父さんが憧れだったの。
 小学校の卒業文集も、将来の夢は正義の味方って書いちゃうような子でさ」
「痛い子供だな」
「うるさいな」
強張った顔に笑顔が戻るが、すぐにそれは消えた。
「でも……」
また言葉が途切れる。
下唇を噛んで、膝に置いた両手を自信無さげに見つめている。
普段は強い光を宿す彼女の瞳は、まるで子犬のように脆く頼りない。
「無茶な頼みごとしてるんだから、ちゃんと本音を誤魔化さずに喋りたいの。
 それが唯一の誠意だと思うし」
そう言って言葉を続けた。

「私が一年生のころなんだけど、クラスで苛めがあったの。
 表立っては暴力とか、陰湿な嫌がらせとかがあったわけじゃなかったんだ。
 でもほら、なんとなくわかるでしょ?
 愛を感じないちょっかいっていうか、軽く小突いたりだけなんだけど、
 友達同士のそれとは明らかに空気が違うっていうか……」
「初期症状って感じだな。どうせやられてる奴もへらへらしてたんだろ」
「まぁ、そうだね。でも私もね、周りの皆も、
 これ以上エスカレートしたら止めなきゃって思ってたんだ。
 でもね、実際はその時点で、裏ではかなり酷いことされてたらしくて」
「へぇ。どんな?」
自慢じゃないが不幸自慢大会なら大概の奴には負ける気がしない。
「それは、その……私が知ってるのは噂くらいだし……」
歯切れの悪さから、その噂は女子の口から言えるレベルではないことを悟る。
「まぁいいや。それで?」
羞恥プレイをさせる趣味は無いので続きを促しながらも、
こんな相談を真面目に受けている自分を不思議に思う。

「それで、結局その子は登校拒否になって、そのまま学校辞めちゃったんだ」
「苛めてたのは?」
「自主退学」
自主、ね。
「それで? 何も出来なかった自分を責めてるって話?
 だからせめて今のクラスメイトは救いたいって?」
「まぁ、簡単にいってしまえばそういう事だね」
「馬鹿じゃねーのお前」
わりと本気でイラっときた。
初めて素の声で喋れたような気がした。
彼女も僕の言葉に肩を小さく震わせると、
「そうだね。馬鹿だね」と苦笑いと浮かべた。
「だったら先に苛められた奴のとこに謝りにでもいけよ」
自然と声を荒げてしまう。
一体何にそんな苛立っているのか自分でもわからない。

「勿論行ったよ。でももう学校の誰とも会ってくれなかったんだ」
既に行ってたのかよ。どんだけ馬鹿なんだ。
お前に責任なんて無いだろ。
何様のつもりだよ。
そう怒鳴りつけてやりたかった。
それが出来なかったのは、窓の外を眺める彼女の横顔が、
心の底からの後悔で染まっていたから。
ああ、こいつ本気で馬鹿なんだ、と感心すらした。
茶化すわけでもなく、羨ましい、とすら思った。
苛立ちの原因がわかった。
自分とは間逆の真っ直ぐな強い気持ち。
それに羨望してしまっているのだ。

彼女は僕の方へ顔を向きなおすと、
「だから、せめて自分の出来る範囲では、って思ってるんだ。
 自己満足ってのはわかってるんだけどね」
と自分を卑下するように笑った。
僕はため息をつきながら椅子にもたれる。
ああ不味い、と心の中で呟く。
僕は、この女を、気になり始めている。
自分に無いものを全て持っている、間逆の異性。
この馬鹿のために、力になってやりたい、
なんてお花畑な考えすら脳裏によぎる。
やめとけやめとけ、と僕の中の天使と悪魔が手を取り合い叫ぶ。
どうせすぐに転校するんだから、という免罪符を手にして。
好きになったところで、好かれるわけもないんだから。
だいたい高望みにも程がある。
現実を見ろよ。
相手は学年でも上位に入るであろう容姿。
自分なんか相手にされるわけもない。

葛藤が面倒臭い。
そうだ。
嫌われておけばいい。
いつもと一緒。
嫌われるのが怖いから、好かれないのが怖いから、
こっちから嫌われにいけばいいんだ。
「メリットは?」
「え?」
「俺にメリットが無いだろ」
「勿論お礼は考えてるけど……」と口ごもる。
実際には具体的に何か交渉カードを持っているわけではなさそうだ。
困ったように頬を掻く。
「やらせろ」
「は?」
「だから、一発やらせろって言ったんだよ」
そうだ。
嫌われておけばいい。
そうしたら、好きにならなくていいんだから。
傷つかなくて済むんだから。
こういった時だけ、僕はとても大胆になれる。
嫌われるのは、とても楽で良い。
バンジージャンプのような快感がある。
要は慣れだ。

引きつった笑顔。
罵声。
平手打ち。
俺が予想したどのリアクションも彼女は取らなかった。
ただにっこりと笑って、
「それは無理だね」
と淡々と答えた。
「そういうのはちゃんとお付き合いしてる人じゃないとやだな。私は」
人差し指を立てて、まるで講釈を垂れるように平然とした様子。
唖然とする僕を、ふふ、と鼻で笑うと
「それとも転校生君は、私と付き合いたいのかな?」
と挑発するように微笑んだ。
「……馬鹿じゃねーの」
反撃はそれで精一杯。
まるでOLにからかわれる小学生だ。

「君はわかりやすいね」
「何がだよ」
「自分から嫌われようとしてる」
ぐうの音も出ない。
しかしやられっぱなしは趣味じゃない。
「お前も人のこと言えないだろ」
「あはは。それもそうだった」
西日が差し出した教室には、
運動場から聞こえる野球部の掛け声だけがしばらく響いた。
僕は頬杖をつきながら、彼女の目をじっと観察する。
彼女も僕をじっと見詰める。
彼女の笑顔を眺めながら、言い訳を考える。
断る言い訳じゃない。
了承する言い訳。
そう、そうだ。暇だから。
別に、こいつに好かれたいわけでもなんでもない。
そう自分に言い聞かす。




結局僕は、『物陰から見てるだけ』という条件のもと、
木葉の願いを了承してしまった。
どう断ってもしつこそうだったし、と言い訳じみた一人言を呟く。
本当は力になってやりたいのだ。
彼女に対してだけじゃない。
たとえ見知らぬ人だろうが、助けられるなら助けてあげたい。
しかし、やはり、怖いのだ。
小学校の時、短い転校を繰り返す中で、隣の席になった女の子を好きになった。
落とした消しゴムを拾ったら、引きつった笑顔でお礼を言われた。
翌日、その子は違う消しゴムを使っていた。
その学校での僕のあだ名は某有名プロ野球選手の一人息子の名前だった。
昇降口のガラスに映る自分と目が合う。
あの時よりは随分痩せたが、それでもずんぐりとした体系は否めない。
顔に至っては、長年の陰気が毛穴の一つ一つに埋まってしまっているかのようだ。
ガラスに映る自分から逃げるように目を逸らす。

木葉とは作戦の打ち合わせだけをすると、
携帯の番号を交換して別れた。
家族以外の番号は、初めて登録する。
「私これから委員会があるんだけど、すぐ終わるから一緒に帰らない?」
そう誘われたが、適当に理由をつけて断った。
女子と二人で下校だなんて、どんな顔をしてすればいいのかわからない。
勿体無いことをしたと後悔しつつも上履きから靴に履き替えていると、
「ちょっと、いいかな?」と声を掛けられた。
顔を上げると、190近くあるのではないかという上背と、
がっしりとした肩と首の上に四角形の顔が乗っているのが見えた。
見るからにラグビーか柔道部といった風貌だ。
開いているのかどうかわからないほどの細目は温和そうに見える。
確か同じクラスの男子だ。
これだけの体格なので、流石に記憶にある。
名前は……なんだっけか。

「同じクラスの加藤だけど、今いいかな?」
そう。そうだ。加藤だ。
野太い声だが、口調は穏やかだ。
前を歩く加藤の後ろにおとなしく着いていく。
その後の展開についてはシミュレーションをするまでもない。
もう身体に刻み込まれた処世術。
殴られるなら被害は最小限に。
金銭は一切渡さない、が信条だ。
いつもどおり、早目に倒れて苦しそうな振りをしよう。
そこから追撃してくる奴なんて中々いない。
もう慣れたものだ。
女子と二人で下校することに比べれば、何てことはない日常。
よほど気が楽だ。
これは虚勢ではない。

いつからか僕は、他人からの敵意や悪意に対して、
一切の不安や恐怖を覚えないようになっていた。
一見格好いいフレーズにも聞こえるが、実際は情けないことこの上ない。
だからこそ、木葉のような、善意の塊のような人間が苦手だ。
いつも通り、適当にやり過ごすだけ。
と、苛められることを前提に彼についていったのだがどうも違うらしい。
そもそも彼の癇に障るようなことをした覚えはないが、
どの学校でも苛めるような奴には理由など無かった。
だから加藤に呼び出された時も、特に理由も見つからないまま、
「ああまたか」と自然に思ったのだが。

加藤はそのでかい背中を校舎に預けると口を開いた。
元々寡黙な性格なのだろう。
あまり饒舌とはいえない、ところどころでどもるような話し方をする男だった。
それこそ、その図体が無かったら、苛めの対象にでもなりそうな程挙動不審だ。
「あの、さっき、木葉さん、と喋ってたけど」
「え、ああうん」
「何、何話してたの?」
まさか君のクラスメイトがヤク中になりかけている、とは言えない。
「まぁ、世間話だったよ。転校してきたばっかで大変だろうって」
「そ、そう」
加藤はわかりやすく安堵のため息を漏らした。
なんとなくわかってきた。
僕の推測を裏付けるように、彼はこう口にした。

「あ、あの。こんなの、勝手に言っていいか、わかんないけど、
 木葉さんのクラスは、一年の時に苛め、があったんだ。
 佐倉君っていう子なんだけど。
 それで、きっと、今でもそれを気に病んでる、と思う。多分。
 といっても、裏で陰湿にやってた、みたい、だから、
 女子とかは殆ど知らなかったと思うんだけど、
 すごく真面目で、優しいから。木葉さん。
 だから、もう、佐倉君と同じことは繰り返したくない、と思ったから、
 君と仲良くしようとしてるんだ、と思う。
 だから、君も、仲良くしてやってほしい」
ほんの微かな感情の機微も、そのでかい図体じゃよく目立つ。
しきりに身体を揺すり、両手も腰の辺りでもじもじと組んでいる。
開いているかどうかわからない細目もきょろきょろと左右に揺れていた。

要は、彼は木葉に惚れているのだ。
それで、放課後仲良く喋っていたかのように見えた僕に、
「彼女はお前を守ろうと考えているだけだから、
 その厚意を好意と勘違いするなよ転校生」
と釘を刺したいらしい。
馬鹿馬鹿しいと思いつつも、事を荒げたくないので
「うん。わかった」と無害な転校生を演じる。
すると加藤はやはりわかりやすく、安心したように表情を緩めた。
「あ、ああ。うん。俺からも、よろしく、お願いするよ。
 彼女、ああ見えて結構真面目すぎるところ、あるから。
 あの時も、結構、凹んでたって、話だし」
「あの時?」
「佐倉君への、苛めが、発覚した時」

もう向こうの用件も済んだだろうから、さっさと解散しても良かったんだが、
ついつい口が滑って話を広げてしまった。
流石にこの大男に殴られずに済んだのは、気が緩んでいたらしい。
「結構酷い苛めだったの?」
「お、俺はクラス違うから、直接見たわけじゃないけど、
 シャーペンで入れ墨みたいなの彫られたり、
 お尻にビー玉入れられたりとか、してたみたい」
加藤も本来の用件を果たしたから気が緩んでいたのだろう。
その口調には、苛めに対する軽蔑ではなく、
苛められていた人間に対する嘲笑が含まれていた。
こいつは間違いなく、その佐倉とやらは勿論、
目の前の僕も見下している。
直接見たわけじゃない、というのも嘘だろう。
きっと男子トイレ等で行われているそれを、何度か目撃していたはずだ。
とはいえ、別段目の前の大男に怒りがこみ上げるわけでもない。
そんなものだ、と割り切っている。
それでも、何か胸につかえる不快感を感じると同時に、
夕日に照れされた、強く自責する木葉の横顔が脳裏によぎった。
僕はその出所不明の不快感を隠すように、さっさとその場を後にした。



「や、ちゃんと来てくれたんだね」
「暇だったからな」
「またまたー。もうツンデレなんだから」
「変なキャラづけはやめろ」
作戦はその日のうちに決行されることとなった。
作戦といっても、該当する生徒を放課後に人気のない夜の公園に呼ぶ、
というだけのものだ。
その生徒を呼び出したのは、公園中央にあるベンチ。
二言三言会話を交わすと、木葉はそのベンチに腰を下ろす。
僕は少し離れた木陰に身を隠した。
木葉の胸ポケットに入っている携帯電話は、
既に僕のと通話中になっている。
目で確認しながらも、会話をチェックしつつ、
危険があるようなら通報するなり助けを呼ぶ。
たったそれだけのことだ。

最初から警察に通報する、という案は却下された。
あくまでクラスメイトを守りたいらしい。
きっと更正できる、なんて思っているのだろう。
待つこと10分。
該当の生徒がやってくる。
中肉中背で、地味な風貌の男子。
加藤とは違い、印象にすら残っていない。
どこにでもいる優等生、としか表現できない。
遠目からでも、明らかに強張った表情が伺える。
既に用件を予感しているのだろうか。
木葉が立ち上がり、その男子に手招きする。
いつもの明朗活発とした仕草。
二人がベンチに座る。
夜の公園は静まり返っていた。

携帯から微かに会話が聞こえる。
はっきりとした内容までは捉えられないが、
どちらも声を荒げる様子はない。
時折弱々しい男の声と、
穏やかに諭すような木葉の声が聞こえる。
様子を眺めていると、男は顔を両手で覆った。
まるで悪戯がバレタ幼稚園児と先生のような雰囲気。、
電話からは嗚咽が漏れ聞こえ始める。
隣に座る木葉は、親指で輪を作って僕の方へと向けた。
どうやらすんなり上手くいったらしい。
拍子抜けだ。
そう思っていたのだが、二人の会話はまだ続いている。
男は涙声で何かを木葉に訴えていた。
照明で照れされる木葉の顔は、明らかに曇っていた。

気になって携帯に耳を当ててみる。
「わかった。でも少し待っててね。トイレ」
という木葉の声がうっすら聞こえた。
すると彼女は立ち上がり、言葉どおりトイレへ小走りで向かった。
木葉の姿がトイレの中へと消えると同時に、携帯から
「もしもし?」と応答を呼びかける声がした。
「なんだよ。上手くいったんだろ?」
「まぁそうなんだけど。本人も元々もう手を洗いたかったんだって」
それじゃ何なんだよ? と口に出る前に、彼女は続けた。
「でも止める時は売ってる人に挨拶が必要らしくてさ」
「なんだそれ? おかしいだろ」
顧客との関係なんて薄いほうが良いに決まっている。
下手したら芋づる式だ。
それじゃまるで暴走族みたいな関係じゃないか。
いやもしかしたら、元がそういうグループなのかも。
嫌な予感しかしない。

「もしかして、それに付いてきてくれって頼まれてないよな?」
「された」
「もしかして、了承してないよな?」
「した」
「……お前馬鹿か……いや馬鹿だったな」
ため息が盛大に漏れる。
「私は、転校生君のこと信頼してるから」
「それが馬鹿だっつってんの。俺が逃げたらどうすんだよ?」
「逃げた先で警察呼ぶくらいはしてくれるでしょ?」
僕は一度携帯から耳を離すと、眉間を指でぐっと抑えた。
「お前さ、なんでそんな俺のこと信頼してるわけ?」
「だって転校生君さ、結構わかりやすいもん。
 悪い人じゃないし、それに……」
「お前に何がわかるんだよ」
彼女の言葉を遮り、小声で口調を荒げる。
自分が信頼されるのが、こんなにも苦しいことだとは思わなかった。

「わかるよ。なんだかんだでこんな面倒なことに付き合ってくれるし」
「ここが限界かもしんねーだろ」
「そんな事ないよ。なんとなくだけど、私、君のこと信用出来るんだもん」
「なんとなくで危険な賭けすんな!」
「んーん。なんとなくじゃない。私、信用してる。
 君は私を放って逃げたりしない。
 ねぇ、なんで私が転校生君を相棒にしたかわかる?」
「そりゃ周りは受験でそれどころじゃねーし、
 大体クラスメイトにヤク中がいるなんてスキャンダルもいいところだろ。
 だからすぐに転校するか、そうでなくとも孤立してる俺なら
 情報漏えいの心配も無いからじゃねーのか?」
「勿論そんな打算もあったよ」
あっさりとそんな計算があったことを素直に認める。
こういった部分には好感を持てる。
「でも私は、きちんとあなたを信頼するに値する人だって思ったから、声を掛けたの。
 もう時間ないから行くね。お願い。後ろから離れてついてきて。
 危なくなったら通報してくれるだけでいいから。
 危ない真似はしないでね?」

「頼まれたってするかよ。ていうかおい! 俺の話を聞け」
応答はもうない。
代わりに、顔を上げるとトイレから木葉が出てくる。
表情は暗くてよく見えない。
しかし怖くないわけがないだろう。
何が信頼してる、だ。
僕自身が一番信頼してない僕をどう信頼するんだ。
木葉は男と二人で、夜の街へと消えていく。
このまま帰っても文句を言われる筋合いはない。
あいつは本当馬鹿だ。
どんな危険な目にあうかわからないのに。
なのに、僕の足は律儀に二人の後を追う。

向かった先は、繁華街の外れにある小さなアパートだった。
二人は一階の右端の部屋の前で立ち尽くしている。
二人とも、恐怖に駆られてあと一歩が出ないようだ。
木葉は、不安げに周りをきょろきょろと見回している。
僕が居るのか確認したいのだろう。
遠くの自動販売機の裏に隠れている僕を探しきれなかったようで、
木葉は遠目でもわかるくらいあからさまに不安げな表情を浮かべた。
俯き、自分の足元をじっと見ている。
その細い両足は、遠くからでもわかるくらい震えている。
そんなに怖いなら、さっさと帰れば良い。
なんでそこまで他人のために出来る?
木葉は隣の男子生徒に何か声を掛けると、その場から少し離れた。
「いる?」と小声で携帯に向かって囁く。
まるで迷子になった子供のような声。
木葉がそんな声を出すのが腹立たしかった。
なんでわざわざそんな状況に首つっこんでんだ。
ああ畜生。なんで僕がこんな胸を締め付けられなきゃならない。
心配で心配でたまらない。
今すぐあの場所まで走っていって、彼女の手を引いて帰りたい。

しかし「居るよ。後ろの自動販売機の陰」とだけ返答する。
すると木葉は素早く僕を見つけ、そして安堵しきった表情を浮かべた。
それは、僕の男としての自尊心を盛大にくすぐった。
使命感に燃える感覚に襲われる。
それを、怖い、と思った。
今この状況が、ではない。
なんなら僕が一人でその部屋にいって、
タコ殴りにでもされて解決するならそれでいい。
喜んで身を出そう。
ただの痛みには慣れている。
罵詈雑言も、陰湿な嫌がらせも、何も怖くはない。
そのどれもが、僕にとってはただの日常だ。

僕は、これ以上、彼女の信頼を得ることが怖かった。
彼女に好感を持たれて、それを勘違いして、
浮かれて好きになってしまわないかが怖くて仕方なかった。
でももう抑えきれない。
自分とは正反対の彼女を、気になっている自分をもう誤魔化せなかった。
可愛くて、性格が良くて、素直で、馬鹿で、
あとは……やはりどうしようもないほど馬鹿な彼女の笑顔が、脳裏から離れない。
こうありたい、と思う自分の理想だった。
今も足が震えて怖くて仕方が無いくせに、
誰かのために一生懸命になれる木葉に憧れている。
自分ですら信用していない僕を、信頼してくれた木葉に応えたい、と思った。

二人が部屋に入っていく。
僕は慌てて周りを見渡した。
何か武器になるもの。
道を挟んだ向こうに廃材置き場が見える。
暗闇の中、目を凝らして一本の木材を見つける。
大幅に出遅れた。
走って部屋を目指す。
何故か、部屋からは男子生徒だけが出てきた。
その後ろには、如何にもガラの悪そうなスキンヘッドの男。
そいつは男子生徒に向かってにやにやしながら手を振ると扉を閉めた。
男子生徒は一瞬躊躇するも、小走りで部屋の前から逃げ出すように去っていった。
そこからは、もう脇目も振らず部屋に直進する。
ひいひい呼吸を荒げながらも、扉を蹴って押し開けると同時に、
「助けて!」と部屋の中からと、胸ポケットの携帯から木葉の声が聞こえた。

部屋の中には3人の男がいた。
変な匂いが充満していた。
シンナー? わからない。とにかく、異様な匂い。
小さなアパートの一室は、雑誌やコンビニ弁当の容器などで散らかり放題。
そこに二人の金髪の男が胡坐を掻いて座り、
そして一人が、木葉を後ろから抱きかかえようとしていた。
先ほどのスキンヘッドだ。首元にはタトゥーが見える。
僕は狂ったように奇声を上げて角材を振り回した。
久しぶりだ。
ぶち切れた振りをするのは。
あんまり鬱陶しい苛めには、これに限る。
大体は翌日から何をされなくなる。
いつ頃からか、僕は苛めに対して何も思わなくなった。
机の中にネズミの死体が入っていようが、
小便中にいきなり後ろからモップで殴られようが、
「ああまたか」と思うだけだ。
だけどやられっ放しは好きじゃない。
転校前日には、きちんとやられた分はやり返す。

木葉を抱きかかえていた男は
「わかった! わかったから!」と両手を上げていた。
胡坐をかいて座っていた二人は、そんな僕を見てげらげら笑っていた。
二人とも目が完全に飛んでいる。やはりそういう匂いだったのか。
どちらも金髪だが、片方はサーファーのようなロンゲに浅黒い肌。
体格もがっちりしている。
もう片方は、その尖った短髪が、まるでハリネズミを思わせる貧相な男だった。
一人正気そうなスキンヘッドの男は、「わかったわかった」と連呼し、
僕が角材を振り回すのを止めると、
「もう帰って良いから。な?」
と宥めすかすように口端を引き攣るように吊り上げた。
こっちは木葉を襲われそうになった怒りがあるが、
安全第一を選択して、木葉の手を引いて部屋を出ようとした。
その背中から
「あれ〜、こんな奴いたっけかなぁ」と寝起きのような声がした。
振り返ると、その声の持ち主は座ってラリっていた内の一人で、
小柄でがりがりに痩せている、金髪を立たせたハリネズミのような男だった。
その男はとろんとした目で、
「またね〜、委員長〜」とけらけら笑いながら木葉に声を掛けていた。

部屋を出ると、木葉の手を引いたまま、しばらく走った。
気がつくと、元の公園に戻っていた。
もう片方の手には木材がまだ握られていて、
気がつくと持っていた手は血が滲んでいた。
慌てて木材を道端に捨てる。
二人とも腰を屈めて、はぁはぁ息を切らした。
ふと目が合うと、どちらからともなく笑った。
ひとしきり笑うと、彼女は目元の涙を拭きながら
「まさか飛び込んできてくれるとは思わなかったよ」と言った。
「うるせえな。無我夢中だったんだよ」
僕も笑いながら言葉を返す。
「すごい暴れっぷりだったね。『きえ〜!』って」
「やるならあれくらい気合入れなきゃ駄目なんだよ」
また二人で笑う。

木葉は息を整えると、しゃんと背筋を伸ばして
「でも、本当ありがと。正直滅茶苦茶怖かった」
と泣き笑いのような表情を浮かべた。
今も彼女の膝は小刻みに揺れている。
瞳にうっすらと涙がかっているのは、
笑ったせいではないだろう。
まじまじと見つめられるとやはり照れくさい。
話題を逸らす。
「そういや、あの中になんか知り合いみたいなの居なかったか?」
「え? ああ、うん……そうみたい、だね」
途端に木葉の表情が陰った。
なんとなく閃く。
「もしかしてあれか? 前に学校で苛めで自主退学になった奴か?」
彼女は一瞬の躊躇の後、首を左右に振ると、
「違う。逆。苛められてたほうの子。佐倉君っていうんだけど……」
なるほど。苛められっ子が不登校から道を外れるパターンか。
珍しくもない。
「ずっと引き篭もってる、って聞いてたんだけど……」
「今ならネットでどうとでも外と繋がれるからな」
木葉はどこか浮かない顔をしている。
元同級生の豹変ぶりにショックを隠しきれない様子だ。
この馬鹿は、また自分を責めている。

僕は溜息をつくと、意を決して彼女の両肩を掴む。
「あのな、もしお前が『あいつが道を外したのは自分の所為だ』
 なんて悩んでんなら、本当救いようの無い馬鹿だぞ」
腹に力を入れて、真っ直ぐと、僕のほうから彼女の目を見る。
木葉は一瞬無理やり作ったような笑顔を浮かべたが、
すぐにそれは瓦解した。
恐怖からの開放で一気に気が抜けたということもあるのだろう。
大粒の涙がぽろぽろと流れた。
子供のように顔をくしゃくしゃにすると、
僕の胸に額を押し付けて、声を押し殺して泣いた。
勿論木葉も本気でそんな風に思ったわけではないのだろう。
しかし心のどこかで、自分をそう責めたに違いない。
鼻先で風に揺れる前髪からは、甘酸っぱい匂いがした。
こんな時の対処法を僕は知らない。
だからただ、黙って彼女に胸を貸していた。

彼女は泣きやむと、「……ごめん。ありがとね」
と真っ赤になった目と鼻を擦りながら呟いた。
その表情に、胸が締め付けられる。
強さと弱さが同居する木葉から目が離せない。
守ってやりたい、と強い想いがふつふつと湧き上がる。
それを、なんとか制止した。
調子に乗るな、となんとか自戒する。
一度不良から助けたくらいで惚れられるなんて、
今どき漫画でもありえない。
浮かれて好きになって告白したところで、
苦笑いで「そんなつもりじゃなかった」と言われるのがオチだ。
迂闊に寝床に近寄ってしまったため、
お姫様の手で壁に叩きつけられて死んだカエルの話を思い出す。
キスをしても王子様になんかなりはしない。

よく見ると吐く息が白い。
その吐息がすぐ目の前まで迫る。
僕は彼女から一歩退いた。
「もうこんなのは、これっきりにしとけよ」
意外にも素直に、
「うん……そうだね。本当、こんなことにつき合わせてごめん」
と神妙な顔つきで謝った。
自分自身に迫った危険ではなく、
僕を巻き込んでしまったことを後悔しているようだった。
もはや怒る気すら失せる。
きっとこの馬鹿は、また似たようなことがあると、
わざわざ首を突っ込むんだろうな、と確信した。
その時は、きっと彼女にお似合いな男が横にいるのだろう。
ちゃんとした王子様がいるのだろう。
それは、僕の役割ではない。
わかっていたはずなのに、何故だか胸が苦しい。

「なんで俺のこと信用しようって思った?」
無意識にその問いが口から飛び出ていた。
木葉は「んー」と髪をくりくりと弄ると、
「強い人だな、って思ったから」とわけのわからない冗談を口にした。
聞き返す気にすらならない戯言だ。
僕から視線を逸らして、木葉は続ける。
「君が転校してくる前にさ、先生に君への配慮をお願いされた、
 って話はしたよね? まぁ私もさ、佐倉君の事とかあったし、
 むしろやる気に燃えてたんだよね。苛めなんて許さない! って。
 でも実際転校してきた君を見てさ、そんな気持ちなんて、
 初日でぱーって消えちゃったんだ」
「なんでだよ?」
彼女は苦笑いを浮かべる。
「正直なところさ、苛められて転校してきた子、
 って色々先入観があるもんじゃん?」
「そりゃあるだろうな」

「見た目は、まぁ、なんかそれっぽいなって思ったんだけど」
「お前たまにデリカシー無いよな」
「腹を割って話すのが誠意だった言ったでしょ。
 でも、なんだろう。態度とか雰囲気かなぁ。
 『この人は誰の助けも必要としない人なんだなぁ』
 ってはっきりわかっちゃったんだよね。
 助けが呼べない、じゃなくて、
 一人でなんとか出来る強さがある人、って感じ。
 他人から嫌われるのを全く怖がってない、っていうかさ」
そう言うと、視線を僕に戻し、、
「正直、私の出番なんて無いなって思った」と冗談めいて言葉にした。
「まぁ実際。お前の助けなんていらねーけど」
「ほら。全然苛められっ子ぽくないんだもん。
 君ってわかりやすいけど、こういう時は強がりでも虚勢でもないよね」
「慣れただけだ。強さとかじゃねーよ」
「そうかな。私からしたら、素直に凄いなって思ったけど」 
「だから信じたのか?」
「うーん。信じたっていうか、まぁ一種の尊敬?」
「俺はお前の馬鹿っぷりに尊敬するよ」
木葉はむぅ、と微かに頬を膨らませたが、
「とにかく、君は私にとって『守らなきゃいけない苛められっ子』
 じゃなくて、『一緒に戦ってくれるかもしれない人』って思ったの」

無言。
夜中の公園は完璧な静寂に包まれていた。
僕は何を言えばいいのかわからずに、首を45度曲げて、
遠くにあるシーソーをじっと睨み付けていた。
すると彼女の方から、僕が退いた一歩分の距離を詰めてきた。
また、お互いの吐息がかかりそうな距離。
木葉は僕を見上げると、
「あのさ、今週末暇?」と尋ねてきた。
「え? ああ……うん」
突然の質問に驚き、無意識に答えていた。
木葉は返事を聞くと、「そっか」と呟くと、
照れくさそうに視線を地面に落とすと、
「お礼、ってわけじゃないけど、一緒に映画行かない?
 今観たいのあるんだ」
と上目遣いで自信無さげに呟いた。
僕は一瞬意味がわからず「は?」と返すと、
「あ、勿論今回は私の奢りだよ」
と慌てたように両手を胸の前で振った。

ため息に見せかけて、深呼吸をする。
頭をぼりぼりと無造作に掻き毟りながら、
「……あのさ、そんなん誰かに見られたらどうすんだよ」
と苛ただしげに口にした。
「え? 別にいいじゃん。なんで?」と木葉は不思議そうに首を傾げた。
その無防備さに少し苛つく。
「俺なんかと、付き合ってるなんて思われても嫌だろ」
シーソーを睨み付けたまま、吐き捨てるように言った。
「なんで?」
心底不思議そうにそう聞き返してくる。
「なんでって……そりゃ、釣り合いとか色々あんだろが。見た目的に」
中々反応が返ってこない。
横目で木葉の表情を伺うと、眉間に皺を寄せ、
小さな唇を突き出したあからさまに不機嫌な表情を浮かべている。
「そういうところ、まじで直したほうがいいよ」
僕は舌打ちをすると、やはりシーソーを睨んだまま
「そういう性分なんだから仕方ねーだろ」とぶっきらぼうに返す。

また静寂が流れる。
なんとなく気まずい。
ついちらりと木葉の表情を盗み見てしまう。
納得がいかない、といった様子で俯きながら、
まだ唇を尖がらせている。
「私、別に見た目とか気にしないし」
「つっても限度があるだろ」
もはや僕もこうなってくるとやけくそだ。
木葉は黙って踵を返してその場から離れる。
流石に怒ったのだろうか。
ほっとする反面、胸に大きな穴が開いたかのような虚無感。
これくらいの傷で済んで良かったと考えるべきだ。
そう思っていたら、木葉はくるりと向き直り、
「わたし、君のこと全然ありだし」
と照れているのか怒っているのかわからないような表情で言葉にすると、
いきなり走り出して去っていった。

その背中を唖然と見送る。
50mほど離れただろうか。
彼女はもう一度こちらを振り返ると、
「映画の件、またメールするからー」と手を振りながら大声で叫んだ。
遠いわ暗いわでよくわからなかったが、
その表情はどこか綻んでいたような気がする。
しばらくその場に立ち尽くしていた。
何度も、勘違いするなよ、と自分を戒めるように反芻していた。
が、限界だった、
どうも、僕は木葉のことが好きになっているらしい。
目を瞑ると、彼女の笑顔が瞼の裏に鮮明に描かれる。
と同時に、高鳴る鼓動。
僕はその場にへたりこむと、「くそぉ」と呟いた。
そういえば、送らなくても大丈夫なのかと今更心配する。
特にあんなことがあった後だ。

メールをすると、すぐに
「大丈夫だよ。私の家すぐ近くだったし。今無事に到着しました。
 今日は本当ありがとね。週末楽しみ〜。映画の後も色々遊びに行こうね?」
と返信が来て、わりと本気で安堵したことで、
ああ、本当に木葉を好きになってしまったんだ、と再確認した。



翌日。
学校でやたらと彼女のことを気にしてしまう。
特に会話はない。
向こうからも話し掛けてはこない。
朝ばったりと廊下で顔を合わしたが、
「……よぉ」
「う、うん」
という挨拶とも言えないような会話をしただけだ。
昨夜の男子生徒も何食わぬ顔で登校してきていた。
木葉を置いて一人で逃げ帰った事に関して一言言ってやりたかったが、
事を蒸し返すのは木葉も嫌がるだろうし、
その当の彼女も何でもないように振舞っていたので、
もう気にしないようにした。

放課後になると、僕は洗練された行軍に紛れ込んだ。
あのまま教室にいたら、また二人きりになってしまうかもしれない。
何を喋っていいかわからない。
ヘタレの極みだとはわかっているがどうしようもない。、
あいつの僕を過大評価する瞳は全身隈なく嫌な発汗を促す。
それから僕と彼女は、学校で会話をすることが無くなった。
休み時間はいつも寝たフリをしているし、
放課後になるとさっさと帰るからだ。
しかし、夜中にメールをする事が多くなった。
というか毎晩だ。
いつも木葉の方から、他愛の無いメールが来る。
今日の数学教師は機嫌が悪くて怖かった、とか
体育の走り幅跳びでクラスで一番だった、とか。
僕はそもそも誰かとメールをした事が無かったので、
慣れない頭と手つきで必死に時間を掛けて返事の文章を考えた。
つたない上につまらない返事だと思うが、
木葉はほとんど時間を掛けずに更にメールを送ってきた。

その内容は徐々に、お互いのことを教えあうようなものへと変わっていった。
お互いの就職のことで相談しあったりもした。
僕は自身の将来にすら大して明確なビジョンは無かったが、
彼女は自分のやりたいことをしっかりと把握していた。
働きながら、法律関係の資格を取るらしい。
母子家庭なので、今までお世話になった母親に負担を掛けたくなく、
早く自立して恩を返したいなどと語っていた。
素直に「すごいな」と思った。
気がつくと、日付が変わるまでメールをする夜が続いていた。
そんな中、週末の映画の話は宙ぶらりんになっていた。
このまま無かったことになってもいいと思っていた。
やはりどこか、僕はどこか疑心暗鬼に捉われていた。
会話は無いが、昼間はいつも顔が見れて、
毎晩のように夜更かしするほどにメールをする。
それだけで嬉しかったし楽しかった。
それ以上近くなるのは、怖かったのだ。

そんな中、彼女の方から改めて、「明日の土曜日ヒマ?」と
やはりメールで問われた。
僕は悩んだ。
多分人生で一番。
少しは慣れたはずのメールを打つ指が、少し震えた。
僕は誘いを了承する返信を打つとベッドに倒れこんだ。
心臓がばくばくと五月蝿い。
すぐに携帯が鳴る。
一度深呼吸をして、おそるおそる慎重に、
まるで爆弾を解体するかのようにメールを開く。
時間と場所が指定されていた。
いちいちメールに絵文字を一杯使うのはやめて欲しい。
特にハートなんて使われたら勘違いしてしまう。
僕はそんな幼稚な自分を誤魔化すため、
苛立つかのように携帯を投げ出すと、
クローゼットを開けて悩みだした。



3連休の土曜日だった。
夕暮れの繁華街はそれなりに人ごみに溢れていた。
待ち合わせ場所も喧騒に包まれていたが、
彼女が来ればすぐにわかると思った。
彼女以外の人間は、ナスかカボチャのように映る。
時間10分前。
友達と待ち合わせ、ということも初体験だった僕は、
無難に少し早めに到着しておこうと思った。
まるで楽しみで仕方がなかった、と思われるのは癪だったが、
実際そうなのでどうしようもない。
噴水の縁に腰を下ろして、これからの事をシミュレーションする。
顔を合わせて会話をするのは久しぶりだ。
胃液が逆流しそうなほど緊張している。
そろそろ寒さを感じる季節だというのに、
全身から汗が吹き出る感覚。
匂いとかは大丈夫だろうか。
神経質になる。

「あれ? 転校生じゃん」
そんな声にはっと顔を上げる。
聞いた瞬間に木葉じゃないとわかったが、
女の声には違いなかったのでどきりとした。
見上げるとそのナスやカボチャも同様の女子数人が、
クラスメイトだという事に認識するに少し時間が掛かった。
当然といえば当然だが、私服だからだ。
彼女らの声は、授業中に教科書を朗読する機械的なものとは違い、
年相応に瑞々しさに溢れていた。
表情も皆柔らかい。
やはりたまには羽を伸ばしたいのだろう。
健全な、高校生の休日といった様子だった。
とはいえ特に親しいわけでもないので、
二言三言言葉を交わして彼女達はその場を後にした。
その背中を見送っていると、こんな会話が薄っすらと聞こえた。

「さっきもこの辺で木葉見なかった?」
「そういや居たね」
「もしかして転校生と待ち合わせとか」
「え〜ないない。あの子結構もてるのに。なんで転校生なの」
「そうだよ。だいたい木葉見たのって一時間くらい前でしょ」
「でも木葉あれ絶対デートでしょ」
「だよね。今日結構寒いのに、春物のワンピースでしょ?」
「気合入ってたよね。化粧もしてたし」
「えー珍しい。絶対デートじゃん」
「でも今木葉彼氏居たっけ?」

明らかに自分を嘲笑するような笑い声と会話も聞こえてきたが、
そんな事はどうでも良かった。
携帯に保存されているメールを確認すると、
やはり時間と場所に間違いはない。
となると、あいつは一時間も前から待っていたのか。
もし時間を間違えたのでなければ、
木葉も待ちきれないほど楽しみにしていてくれたと考えていいのだろうか。
いや何かついでに用事があったのだろう。
自意識過剰だ。
落ち着け。
調子に乗るな。
そう自分を戒めるが、木葉の私服姿を想像するだけで顔がにやけそうになる。

しかし木葉はいくら待っても来なかった。
周りを見渡してそれらしい気配はない。
もう既に30分も待ち合わせ時間を経過していた。
電話を掛けてみる。
出ない。
僕は手近にあった喫茶店に入ると、
コーヒーを注文して、窓から待ち合わせ場所をじっと見ていた。
傍から見たら、まるで飼い主を待つ犬のようだったかもしれない。
普段の僕ならすぐに悪戯の誘いだったんだ、と断定していたが、
流石に今回はそうは思えなかった。
そう思い込みたい、という気持ちも確かにあったが、
実際一時間も前に、木葉はここに来ているのだ。
そこで漸く僕は、事故の可能性を考えた。
もう一度電話を掛ける。
しかしやはり出なかった。

待ち合わせ時間はもう2時間を超えた。
陽も落ちた。
連絡は無い。
一応近所の病院に連絡を入れてみる。
交通事故等で運ばれた人は居ないらしい。
喫茶店を出ると、もう一度待ち合わせ場所に立って空を見上げた。
人通りはまだまだこれからがピークをいった様子だ。
心のどこかで安堵する。
これで良かったんだ。
きっと、僕が調子に乗ってて言い寄られそうだったから、
悪戯で痛い目に合わせて突き放そうという魂胆だったのだ。
木葉がそんな奴なわけがない。
そうわかっていながらも、弱い心を守るために、
勝手に自己完結する。
無数のナスやカボチャが笑顔で週末の大通りを歩いていく。
その笑い声は、まるで僕に
「身の程を知れよ」と現実を突きつけてくるようだった。



結局3連休は、木葉から連絡は一切無かった。
何度かこっちからメールしようと思ったが、やめた。
何もする気が起きず、ろくに食欲もわかないまま、
ただ自分の部屋のベッドでごろごろと横になっていた。
なのに一時も携帯から目が離せなかった自分を女々しいと感じた。
いわゆる普通の、友達やら恋人やらを作れる人たちは、
こういう時は一体どういう風に振舞うのだろうか。
やはりこっちから連絡して追及するのだろうか。
僕は、それが出来ない。
これ以上離れられるのが怖いから。
それならば、このままで良い、と思ってしまう。
ほら見ろ。こうなるから期待するのは止せって言ったんだ。
頭の中の天使と悪魔が、やはり手を取り合ってそう笑ってくる。



連休が終わった火曜日、僕は恐る恐ると登校した。
一体どんな顔で会えばいいのかわからない。
いや、もう気にするのはよそう。
ただ今までどおり、空気に徹すればいいのだ。
何事もなかったかのように。
彼女にはもう体の良いボディガードは必要ないのだ。
教室を目前にようやくそう開き直ることが出来た。
心臓をばくばくさせながら扉を開ける。
木葉の姿は無かった。
チャイムが鳴っても彼女は姿を見せない。
担任の先生がHRが始める前に口を開く。
「えー、木葉さんですが、連休中に怪我をしたので暫く入院するそうです」
その言葉を聞いて、我ながらの下衆っぷりを再確認した。
惚れている相手の怪我で安堵してしまった。
なんだ。
そうだったのか。
やはり事故が何かがあったのだ。
そんな風に考えてしまう自分を心から醜いと思った。
彼女ならきっと、純粋に相手を心配するだろう。

放課後に先生から木葉が入院している病院を聞く。
「なんだ。そんな仲良かったのか?」と怪訝そうに尋ねられたが
「転校してきたばかりで色々お世話になったので」
と優等生的に返事をすると、感心したように頷いていた。
家にも帰らずにそのまま病院に直行した。
受付で部屋を確認する。
清潔感溢れる廊下をゆっくりと歩きながら、
そこで自分の失態に気づく。
普通はお見舞いとか持っていくものじゃないのか。
自分の空虚な人生経験に嫌気が差す。
仕方が無いので売店でお菓子を買った。
以前メールのやり取りで、好きだと書いてたものだ。

彼女の部屋は個室だった。
そういえばどんな怪我だったのかすら聞いてない。
色々と抜けすぎている自分が情けない。
部屋の前で何度も深呼吸する。
足が少し震える。
ノックをすると、「どうぞ」とすっかり馴染みのある声。
入院してるのだから当たり前なのだが、
どことなく弱々しい響きだった。
ゆっくりと扉を開けると、
ギブスで固められた片足を宙に吊って横になっている木葉の姿があった。
彼女は来客が僕だとわかると途端に涙を流した。
何も泣くことはないだろうと歩み寄って、
彼女のお腹の上にさっき買ったお菓子を放り投げた。
「ほらよ」
木葉は鼻をぐずつかせながら、「ありがとう」と小声で囁いた。
そして「ごめんなさい」とも。

僕は久しぶりの木葉との会話に照れを隠せず、
窓の外から遠くの景色を眺める。
「結構心配したんだぞ。電話しても出なかったし」
木葉は微笑を浮かべて、お菓子を両手で撫でるようにして見つめていた。
「ごめん。電話も壊れちゃって」
「どこで?」
一瞬言葉が詰まる。
「……あの、待ち合わせの近くの歩道橋で」
確かにそんなのあった。
「転んだのか?」
彼女は恥ずかしそうに笑みを浮かべて、ゆっくり頷いた。
「馬鹿だな」
「ひどい」
笑顔を浮かべながら、彼女は笑った。
「それくらいで済んで良かったけど」
「うん……本当ごめんね?」

「いいよ。ネットで調べてみたら、あの映画評判最悪だったし」
「あ、そうなんだ」
「怪我の功名だな」
「じゃあ、私に感謝してよね」
僕たちは普通に笑いあった。
しばらく談笑する。
僕は柄にもなく、気を使って色々と話題を振った。
彼女もそれに応えるかのように冗談を言い合った。
いつの間にか一時間も経っていた。
「そろそろ帰るわ」と口にすると、
「えー」と彼女は露骨に寂しそうな顔を浮かべる。
それが僕は嬉しかった。

去り際に、「退院した埋め合わせはしてもらうからな」と呟くと、
彼女は嬉しそうに「うん!」と頷いたが、
その後、ふと寂しそうに「あ……」と何かに気づくように顔を伏せた。
僕はそれが不思議に思い、彼女の顔を覗いたままでいると、
木葉は、もう一度「うん」と頷いた。
病室を出ると、遠くの方から同じ学校の制服が見える。
女子だ。
一瞬で状況を把握する。
まずい。クラスメイトが見舞いにきたのだ。
別に見られて困るわけではないのだが、
やはりどこか、僕は木葉に対して引け目を感じていた。
未だに彼女は、僕の中でも、
「僕なんかと、仲良くして『くれている』、人気の女の子」なのだ。
素直に、ごく単純に、「片思いしてる女の子」ではない。
それは、待ち合わせの時に偶然会ったクラスの女子の反応からも、
そういった劣等感を抱かざるをえなかった。

僕は迫るクラスメイト達に姿を見られる前に、
慌ててその場を離れた。
いつの間にかどこかわからない通路にいた。
あまり人気がない、通路の突き当たり。
しばらくここで身を隠してから出て行くことにした。
すると通りかかった看護士の話し声が聞こえる。
「ねぇねぇ。203号室の女の子なんだけどさ」
「ああ歩道橋で足踏み外して片足骨折した子?」
「そうそう。さっき男の子が見舞いに来てて、
 それで今も女の子が沢山見舞いに来てるんだけど」
「それが何?」
「たまたま会話聞いちゃったんだけど」
「あんたそういうの止めなさいよ」
「いや流石に男の子と二人きりの時は気を使ったわよ。
 だから外で少し待ってたから聞こえたんだもん。
 まぁ彼氏とかではないと思うけど」

「それで?」
「多分同級生だと思うけど、女の子がさっき一杯入ってったから、
 それなら大丈夫だと思って病室に忘れたバインダー取りに入ったらさ、
 そこでも会話がちょっと聞こえちゃったのね」
「だからそういうのはやめなって」
「どっちも不可抗力だって」
「まぁいいけど。それで?」
「それでね。あの子、どっちにも『事故は土曜日にあった』っていう風に話してるのよね」
「え? あの子が運ばれてきたのって昨日でしょ?」
「そう。3連休の最後」
「ふーん」
「ふーんって。それだけ?」
「知らないけど、大したことじゃないでしょ。それくらい」
「そうかなぁ」

彼女達は僕の存在に気づかずにそのまま通り過ぎていった。
怪訝に思いながらも病院の外へ出て、
そしてそのまま家に帰る。
その道すがら、看護士たちの話を反芻する。
意味がわからなかった。
どうして木葉はそんな嘘をついたんだろうか。
土曜日に、待ち合わせにこれなかったのは事故の所為ではない?
気がつくと家に帰っていた。
郵便ポストを見ると、少し大きめの茶封筒がつっこまれている。
取り出してみると、差出人の名前はおろか、
切手すら貼っていない。
宛名は僕になっている。
汚い、品の無い字だ。
部屋に入り、それの中身を取り出す。
まずは写真が目につく。

薄桃色の、ワンピースが、まるで通販カタログのように写っている。
シンプルなデザインだが、この時期に着るには少し寒そうだ。
その脇には、その上に羽織られていたであろうカーディガン。
そして水色のブラジャーと、お揃いのショーツが脱ぎ捨てられている。
その合間合間にフローリングの床らしきものが見える。

頭のなかで、ぱちりと音をたてて、パズルが出来上がる。
それと同時に、目の前の風景が歪んだ。
「……そんなわけがない」
自らの推測を打ち消すかのように、
茶封筒のさらに奥を、乱暴に手で探る。

茶封筒の中には、さらにDVDが、3枚入っていた。
それぞれには、日付がラベリングされていた。
その日付は、先週末の土曜日から連番になっていた。
その場に膝をついてしまいそうなほどの眩暈。
僕は真っ白な頭のまま、『土曜日』のDVDを、デッキの中に入れる。


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Comments

過去作ってどれ?
...2013/02/11 09:51 AM
右のCATEGORYの投稿作品じゃないの
...2013/02/11 02:33 PM
うっひょお!楽しみ
...2013/02/11 02:49 PM

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