丁寧に包装された、淡い彩りの紙を一つ一つ無造作に剥ぎ取り、
その中身の物体を、俺はしかめっ面で口に運んでいく。
「それにしてもアレだな」
「はい?」
「人生ってのは不公平なもんだよな」
「急にどうしたんすか?」
拓也はそう笑うと、「あ、まだまだあるんでどうぞ」と、
バッグの中から手の平サイズほどの、
やはり可愛く包装された、長方形の薄い板を取り出し俺の目の前に置く。
俺は溜息をぐっとこらえて、それを黙々と口に運んでいく。
「ほろ苦えな」
「ああ俺甘いの苦手なんで。事前にどんな味が好きか聞かれてましたし」
まだ社会人一年目の一人暮らしにとって、
食べ物の差し入れというのは経済的にも大変助かる。
たとえそれが、後輩が貰ったバレンタインチョコだとしても。
自尊心では腹は膨れない。

もう何個目だろうか。流石に胸焼けがしてきそうだったが、
普段ろくなものを食べてないから、
纏めて栄養分を取っておきたいと考えるのは、
貧困生活に慣れてしまった証拠だろうか。
どこかの誰かが一生懸命想いをこめて作ったチョコを、
どこぞの誰とも知らん、冴えない男に食われていると知ったら、
こいつらの作り手達はどんな顔をするんだろうか、
なんて事を考えながら、チョコを掴んではバリバリと
氷を噛み砕くかのごとく飲み込んでいく。

「ていうか良いのかよ?俺が食って」
殆ど全て食い終わってから言う台詞ではないが、
今更名も知らぬ女の子達に罪悪感を覚える。
「え?ああ、まぁ良いんじゃないですか?捨てるのも勿体ないですし」
本来の受け取り主は、そう言うとごろんと寝転がり、
乱雑に置かれた週刊誌を手に取り、
退屈そうにそれを捲り始めた。
「あれ?お前今彼女いるんだっけ?」
「いませんよ」
なのに鞄に入りきらないほどの本命チョコをゴミ扱いか。
あまりに価値観が違うと、怒る気にすらなれない。

まるでだらけた主婦のように、寝転がりながら雑誌を斜め読みしていく拓也に
「ていうかお前何しに来たんだよ?」と問いかける。
「へ?いや別に。そういや最近先輩の部屋行ってないなって思って」
「別に俺んとこ来ても何もねーだろ」
「そんな事無いっすよ。俺先輩と遊ぶの好きなんすもん」
「退屈そうに雑誌捲ってる姿で言われても説得力ねーよ」
「じゃあどっか行きましょーよ。あ、それかゲームします?
 桃鉄しません?桃鉄」
「なんで社会人になってまで男二人で桃鉄やらなきゃなんねーんだよ」
拓也は「俺、先輩とならなんでも楽しいっすもん」と笑いながら上半身を起こし、
そして慣れた手つきでゴミの山からスーファミを取り出してきた。
「いー加減掃除しましょうよ」
そう言いながら、コントローラーを渡してくる。
俺は渋々それを受け取りながら、溜息をついた。
なんでバレンタインに、男二人で桃鉄やってんだろう。

拓也は三つ年下の、以前俺が働いていたバイト先での後輩だ。
こいつが大学に進学したと同時に入ったバイト先での教育係が俺だった。
なんだか知らんが妙に慕われて、
こうやって遊ぶようになってからもうすぐ二年ほど経つ。
告白の手紙入りのチョコの数から容易に察するように、
対抗意識を持つことが馬鹿らしいほどにモテる。
すらりとした高身長に雑誌の表紙から飛び出たようなルックス。
おまけにバンドまでやってるらしく、向こうところ敵無しだろう。
性格はどこか浮世離れしてるというか、まるで雲のように掴み所が無い。
普段はぼさーっとしているように見えるが、
仕事は勿論、バンドなんかも真面目に取り組んでるから、
同性からも好感が持てる奴ではある。

なんで俺を慕っているのかはよくわからん。
バイト時代も、事あるごとに女子から飲みだのカラオケだのと誘われていたが、
その度に「いや、先輩と遊ぶから」なんて断っていたから、
何故かバイト先での女子に対する俺の好感度はだだ下がり。
ちょっと可愛いなと思っていた子に話しかけられたと思ったら、
「拓也君ってどんな子が好きなんですか?」と相談されるか、
将を射んとすれば〜、という狙いで近づいてくるケースばかり。
いい加減逆恨みの一つでもしたくなる。
しかしそこはモテる男の器とでもいうのだろうか、
なんだかんだで憎めないキャラをしている。
なんとなく、同姓異性問わず引き寄せる魅力があるのだ。
まぁ実際悪い奴ではない。
むしろ良い奴だ、と断言しても良いだろう。
多少天然だけど。

とにかく、そんな拓也が何故俺をそこまで慕っているのかは、
バイト先でも七不思議に数えられるほどの謎だった。
当の俺ですらよくわからん。
昔二人っきりでディズニーランドに誘われた時は、
流石にケツの穴の心配をした。
「いやただディズニーが好きなんですって。別にホモとかじゃないですってば」
そう笑う拓也に、わりと真剣に尋ねた。
「なんでお前そんな俺と遊びたいの?」
拓也は「うーん」と腕を組んで目を閉じると、
「なんか、包容力?みたいな?よくわかんねっす」
とにへらと顔を綻ばせて答えた。
「なんつうか、先輩には結構マジで感謝してるんですよ。
 なんか改めて言うのも恥ずかしいですけど。
 ほら、俺バイトって初めてで、すごい緊張してたんす。
 年上の人とかと話すのも慣れてなかったから。
 多分すげえ生意気だったし、バイトとしても使えなかったと思うんですけど、
 先輩すげえ丁寧に、根気強く教えてくれたじゃないっすか?
 俺マジで感動して、ああこんな大人になりたいって思ったんす」

耳まで真っ赤にして、そう言った拓也は、
「なんか、こんなの恥ずかしいっすね。
 あ、でもマジでホモとかじゃないっすよ。
 兄貴分?みたいな?」
と照れ笑いを浮かべた。
それ以上に照れくさかった俺は、
「……馬鹿じゃねーの」と心にも無いことを言ってしまったが、
拓也は気を悪くした様子なんか一切無く
「あ、知ってます。そういうのツンデレって言うんですよね?」
と爽やかに笑うだけだった。
まぁそんなこんながあって、
俺と拓也は、俺が大学卒業するまでの一年間、
バイト先やプライベートで仲良くやっていたってわけ。
それから俺が就職すると、中々遊ぶ機会も無かったんだが、
久しぶりに拓也の方から連絡があって、こうして部屋で桃鉄をしてる。

「あ〜あ。なんでバレンタインにお前と桃鉄なんだよ」
そう愚痴をこぼしながらサイコロを振る。
「彼女作れば良いじゃないっすか」
「そんなプラモじゃねーんだから」
俺だって全くモテないわけじゃない。
いや正直モテるだなんて口が裂けても言えないが、
彼女の一人や二人くらい、今まで作ったことはある。
ただ社会に出ると、ここまで出会いが無くなるとは思っていなかった。
同僚の女はパートのおばちゃんのみ。
友人もお互い仕事に忙しく、徐々に疎遠になっていく。
まぁ社会人一年目くらいは仕方ないのか。
そう諦めていた俺に鶴の一声が掛かる。
「良かったら紹介しましょうか?」
「マジで!?」
途端にテンションが上がる。
我ながら現金なものだ。
しかし俺は一つの可能性を思いなおし直ぐに前言撤回をする。
「いや……やっぱいいわ」
「えー?なんでっすか?」
「お前の手がついた女とかいらん」
「そんなの紹介しませんって」
「マジだろうな?」
「マジっす」

俺はスーファミのコントローラーを手に持ったまま固まる。
後輩からバレンタインチョコのお恵みを施してもらって、
その上紹介までしてもらう?
それって先輩としてどうなんだ?
そんなちっぽけなプライドが、蝿のように耳元で鬱陶しい。
俺はそれを叩き落すと、
「……大人しい系ので頼む」
と憮然とした口調で言い放った。
そんな天晴れなまでの小者っぷりの俺とは裏腹に、
拓也は子犬のような満面の笑みで、
「任せといて下さい!」と握り拳を振り上げた。

あれから一週間。
実のところ、俺は拓也に頼んだ紹介の話なんてすっかりと忘れていた。
多少慣れてきたとはいえ、日々めまぐるしい生活に追われる社会人生活は、
そんな煩悩すら吹き飛ばすほどに多忙だった。
だから週末の夜に、突然拓也にファミレスに呼ばれた時も、
以前貸したゲームでも返しにきたんだろうかなんて呑気に考えていたんだ。
陽が落ちて数時間経った週末のファミレスは人がごった返していた。
入り口でウェイトレスに連れがいることを申請すると同時に、
奥のほうか「せんぱーい」と能天気な声が聞こえてきた。
俺はいささか恥ずかしい思いでその声の方に視線をやると、
こっちに向かってぶんぶんと手を振る拓也の姿と、
そしてその対面に座る、こじんまりとした女の子の後姿が見えた。

俺はその瞬間に、「あぁ、そういえば……」と呑気に約束を思い出すと同時に、
女性を紹介してもらえる嬉しさそっちのけで、
「あいつ意外と律儀なんだな」なんてところに感心していたりした。
不意打ちのお膳立てということもあって、
拓也の居るテーブルに近づくにつれほんの少しづつ緊張が走る。
「よお。なんだよ急に。デート中に呼び出すなよ」
俺は照れ臭さも手伝って、わざとわかってない振りをして悪態をつく。
拓也を奥に押し込むように、拓也の隣に腰を下ろす。
「違いますよ」拓也は笑うと「この子、弥生ちゃんっていうんです」
と向かいに座る女の子を目を向ける。
俺はそこで初めて、きちんとその女の子を見る。
弥生ちゃんと紹介されたその子は、俺と目が合うと、
慌てて小さくぺこりと会釈を返してくれた。
その第一印象は、まるで昔小学校で飼ってた兎みたいだな、と思った。
おそらく女子の中でも小柄なほうな体格に、
これまたこじんまりとした顔にボブショートの艶々な黒髪が乗っている。
淡い色のカーディガンが目に優しい。
緊張しているのか、程よく血色の良い白い肌は少し紅潮している。
少し落ち着きなさげに、時折上目遣いで俺や拓也をちらちらと見ている仕草は、
やはりどことなく小動物を連想させる。

「ああ、初めまして。昔こいつとバイトやってた遠藤って言います」
なるべくあっさりとした口調で挨拶をする。
自然な笑顔も忘れずに。
ただ弥生ちゃんの緊張はなかなか深いようで、
はっ、と驚いたようにつぶらな瞳を見開くと、
まるで面接を受けているかのように背筋をピンと伸ばし、
「あ、はい!すみません……あの、えと、あたし、田上弥生っていいます」
と何故か謝罪まじりに自己紹介をしてくれた。
それから小一時間俺たち三人は、ぎこちなくも手探りに親睦を深める会話を交わした。
しばらくすると緊張がほぐれたのか、
弥生ちゃんも笑顔を見せてくれるようになり、
長年付き合った友人、とまではいかないまでも、
初対面の人間に対する警戒を解いたように談笑に応じてくれた。

「あはは。遠藤さんと新堂君って本当に仲が良いんですね」
「なんか知らんけど懐かれちゃってね……てか新堂君って誰?こいつ?」
「あ、ひど。先輩そりゃないっすよ」
「いや本当に忘れてた」
たわいのない会話でくすくすと笑う弥生ちゃんを見て、
こういう子は笑顔が似合うな、なんだか暖かい気持ちに包まれた。
物腰の柔らかい、礼儀正しく、ただどこか奥ゆかしいと言うか、
自信無さげとでも表現できる弥生ちゃんの笑顔や口調は、
どこか見る者聞く者を安心させる。
そんな彼女への第一印象が固まったころ、
弥生ちゃんがふと何かに気付いた様子で腕時計を見た。
「なに?門限?」と尋ねると、
申し訳なさそうな表情を浮かべて、
「あー、はい……すみません」
「いや謝らなくていいよ」と笑い「どうせこの馬鹿が無理矢理誘ったんでしょ?」
と隣の拓也の肩を軽くはたく。
「まぁ否定はしません」
「じゃあこいつと一緒に送ってくよ。俺車だし」
と言いながら腰を上げる。
「あ?え?そんな、悪いです」
「いやいや、そういうわけにもいかないしさ」
「そうそう。気にしないでいいよ」
「お前は気にしろよ」
弥生ちゃんはクスりと笑うと、
俺と拓也に続いて腰を上げた。

「どうでした?弥生ちゃん」
弥生ちゃんを最寄の駅まで届けると、助手席に乗っていた拓也が、
俺の機嫌を伺うような低姿勢で聞いてくる。
もう慣れたとはいえ、やはりどこかくすぐったい。
「ああ可愛いじゃん。てかびっくりしたわ。
 お前にあんな知り合いいるとか」
弥生ちゃんは実際可愛らしかったし、
拓也にあんな感じの女の子が知り合いで居たというのも予想出来なかった。
「いや実際知り合いじゃないんす」
「あ、やっぱそうなん?お前に対しても若干距離あったもんな。弥生ちゃん」
「同学年のサークルメイトではあるんすけど、殆ど喋ったことは無いんですよね」
「へぇ、あの子も軽音楽部なんだ。なんかイメージわかないな」
「ああ、あの子はたしか友達に強引に誘われただけみたいっすよ。
 実際楽器はピアノが少し出来るくらいですからね。
 あんまバンド活動とかはしてないっす」
「ふーん」
「気に入ってくれました?」
「ん?ああまぁな。全然可愛いじゃん」
「ちょっと地味じゃないです?可愛いっちゃ可愛いですけど」
「いやあれくらいが良いよ。俺は。
 ていうか向こうが俺を気に入ってくれるかは知らんけど」
「いやそれは絶対大丈夫です。俺が保障しますって。
 ていうか先輩がモテないのが意味わかんないすもん。
 俺が女だったら真っ先に告りますよ」
「だからそういう発言はやめろ。ケツの穴がきゅんってなるわ」
笑いながら拓也の肩を叩く。
「いや変な意味じゃなくてですね」
肩をさすりながら拓也も笑う。
「変な意味しかねーよ」
周りからみたら気持ち悪いだけだろうが、
こういうやり取りは、俺たちの間ではいつもの事で、
拓也はあえてホモネタで笑いを取りにくる。
まぁ俺のことを尊敬していて、男のしての魅力がある、
と思っているのはマジっぽいが。
どうして俺なんかを?と自虐的に思わなくもないが、
今は、予想外に好みの女の子を紹介してくれた嬉しさが手伝って、
素直にこいつと出会えたことに感謝しながらハンドルを握り直した。



それから数日後の昼。
勤務中の昼休みの事だった。
珍しく、拓也からの電話。
(いや拓也からの電話は珍しくもなんともなく、
むしろ鬱陶しいくらいなのだが、
昼休みとはいえ勤務時間に掛けてくることは殆ど無かった)
「そういや先輩、弥生っちには電話したんですか?
 番号はこないだ交換してましたよね?」
「いきなり弥生っちとか馴れなれしいなお前は。その図太さが羨ましいよ」
「いや一応サークルではずっと一緒だったわけですし……ってそんな事はどうでもよくて」
「こういうのってタイミング難しいじゃん。
 いきなりだとなんかがっついてるみたいだしさ。
 まぁ週末くらいに一度連絡しようかなって思ってたけど」
「そうなんすか?だったら良いですけど。
 弥生っち、先輩の事気に入ったって言ってましたよ」
「え?そうなん?ぶっちゃけ無難に初対面交わしただけで、
 気に入られる要素とか無かったと思うんだが」
「結構年上が好きっぽいみたいです」
「へー。じゃあ誘ってみるわ。あんがとな」
「いえいえ。お仕事お疲れ様です」

携帯を切ると、自然に笑みがこぼれた。
素っ気無い対応をしていたが、内心テンションだだ上がりだ。
弥生ちゃんはどこか一歩引いた感じがあったので
(大人しい子との初対面なので仕方ないけど)
あまり期待していなかった分嬉しい。
早速弥生ちゃんの番号を呼び出して、電話を掛けてみる。
携帯を耳に押し当てながら、現金なものだ、
と自嘲気味に笑う。
何度かコールしても出ないので、メールを送る。
するとすぐに返ってきた。
『すいません。今部会中だったので出れませんでした。
 メールならこっそり打てるので大丈夫です(笑)』
『ああごめんね。大した用じゃないよ。また夜にでも電話するから』
『すいません。電話ありがとうございました』
「……良い子だなぁ」
そう呟きながら、携帯を閉じる。

仕事を終えて帰宅すると、早速電話を掛ける。
「あ、もしもし。遠藤です」
「あ、はい。田上です」
「昼間はごめんね」
「あ、いえいえ。こちらこそすいません」
「部会って昼間やってんだ?結構真面目なサークルなんだね」
「はい。毎週水曜日の昼休みなんです」
「あれ?でも拓也とは直前に電話してたんだけどな」
「そういえば新堂君、今日は来てなかったですね。
 毎週ちゃんと顔出すんですけど……どうしたんだろ」
「どうせその辺ほっつきあるいてんだよ」
「あはは。確かに新堂君って、どこかふわふわしてますよね。
 だからしっかりしてそうな遠藤さんとのコンビって良いと思いますよ」
「そうかな?俺は俺で駄目駄目だけどね。そういやさ、今週末って暇かな?
 もし良かったらご飯でもどうかなって思ったんだけど」
「え?あ、はい、あの、大丈夫です」
「そっか、ありがと。何か好き嫌いとか要望とかある?」
「いえ、こちらこそありがとうございます。
 その、特に無いので、お任せしていいですか?」
「わかった。じゃあまた決まったら連絡するね」
「はい。ありがとうございます」
電話越しの弥生ちゃんの声はどことなく楽しげで、安心した。
俺は携帯を放り投げると、週末のデートプランを頭に思い描きながらネクタイを緩めていった。

デート当日。
少し寝坊した俺は小走りで待ち合わせ場所に急ぐ。
やがてぼんやりと見えてくる、待ち合わせ場所の駅前の時計塔。
その根元にひっそり佇む一人の女の子。
薄茶色のハーフコートに、細身のジーンズを着た弥生ちゃんは、
遠くから近づいてくる俺の存在に気がつくと、
一度軽く会釈をして、軽く手を振ってきた。
その顔からはどことなく緊張した雰囲気が漂う。
「ごめん。ちょっと遅れた?」
微かに息を切らしながらそう尋ねると、
彼女は少し慌てた様子で腕時計を確認して、
「い、いえ。まだ時間前ですよ」
と顔を綻ばせた。
その笑顔は第一印象の時と同じく、
見る者の心を和ませる、素朴だけど可憐で、
彼女の性質をそのまま表したかのようなものだった。

それから会社の先輩に教えてもらったイタリアンで昼食を取り、
その後行きつけのカフェでお茶をすることになった。
大通りから少し外れた、コテージ風の店。
まるでここだけ90年代に時間が戻ったかのよう。
店内にはいつも一昔前のアイドルソングが流れている。
「なんだか落ち着けるとこですね」
弥生ちゃんはカフェオレを注文すると、店内を物珍しそうに見渡す。
「結構好きなんだ。ここ」
「さっきのお店もすごい美味しかったです。
 なんか大人の人〜って感じですね」
「実を言うとさっきの店は会社の先輩に教えてもらっただけなんだけどね」
「正直なんですね」
そう言うと彼女はくすりと笑った。
最初のころと比べると、その表情からは緊張感が大分ほぐれた気がする。

「普段はどういう店行ったりしてるの?」
「ん〜、あんまり外食しないんですよね。貧乏学生ですから。
 お昼もお弁当ですし」
「へ〜、自分で作ってるの?すごいじゃん」
「そんな事ないですよ。いつも殆ど日の丸弁当みたいなもんですし」
「弥生ちゃんも正直だね」
そう言ってコーヒーカップを口につけると、
そこで「あ、しまった」と内心失敗に気付く。
弥生ちゃんを見ると、少し頬を染めて、
視線を左右に泳がせている。
「ごめん。急に馴れ馴れしかったね」
対外的には田上さんと呼んでいたのに、
ふと心の中での呼び名を使ってしまった。
「い、いえ。その、大丈夫です」
両手を顔の前でわたわたと振りながらそう答える弥生ちゃんは、
どう見ても大丈夫な様子ではない。
「その、私ずっと女子校だったんで、
 男の人にそういう風に呼ばれるの初めてで……」
そう言いながら、耳まで真っ赤になっていく弥生ちゃん。
その可愛らしさはどちらかというと、
性欲よりも保護欲が掻き立てられる。

「そうなんだ?なんか結構意外だな。
 弥生ちゃんモテそうだから、男友達とかも多そうじゃん」
「ぜ、全然そんなことないですよ」
これ以上無いというくらい顔を赤らめていく弥生ちゃん。
「じゃあ共学なのは大学から?」
「そうですね。あ、小学校もでしたけど」
「それで拓也みたいなのが身近にいたら男性不信になりそうだな」
弥生ちゃんは困ったように笑った。
「拓也君は……どこか独特ですよね。天然というか」
「あいつって大学ではどんなんなの?」
「ん〜、遠藤さんが知ってる感じそのままじゃないですかね?
 二面性とか無さそうですし。
 なんというか、わが道をマイペースで行く!って感じです」
「はた迷惑な奴だよな」
「あはは。でもすごい人気者ですけど」
「ふーん」

「でもその拓也君から、すごく熱心に頼まれたんです」 
「なんて?」
「すっごく慕ってる先輩がいるから、一度会って欲しいって」
「ああ」
なんだか恥ずかしくなって、今度はこっちの顔が熱くなる。
なんて頼み方してんだあいつ。
「すごいビックリしました。そのお願いもそうですけど、
 あの拓也君に、尊敬するような人がいるなんて、って思いました」
弥生ちゃんはコロコロと楽しそうな笑顔を浮かべる。
俺がどう返事をすればいいものかと悩んでいると、
弥生ちゃんは俺の様子を伺いながら、続けて口を開いた。
「正直男の人に紹介されるとかは、乗り気じゃなかったんです。
 そういうの慣れてないし、どうしたらいいのかわかんなかったし。
 でもやっぱりどうしてもすごく興味があって……
 あんな唯我独尊って感じの拓也君が、そこまで慕っている人ってどんなだろって」
「好奇心は猫を殺すってやつだな」
「そんな物騒な」彼女はクスクスと笑うと、
「でも遠藤さんとこうして喋ってると、なんとなく分かった気がします」
「ただの冴えない男でガッカリしなかった?」

弥生ちゃんは遠慮がちにくすくす笑うと、
「そんな事無いですよ」とはにかみながら口にした。
「遠藤さん、すごく優しくて、助かりました。
 本当、あたし男の人って、あんまり慣れてなくて」
「なんか遠藤さんって言われるとくすぐったいな。
 俺も弥生ちゃんって呼ぶから、下の名前で呼んでよ」
「え?え?」
弥生ちゃんはリスのようなくりくりの目を見開いて、
困惑の表情を浮かべながら、さらに顔を赤く染めた。
「だめ?なんかそんな呼ばれ方慣れてなくってさ」
「あ、いや、駄目じゃ、ないです、けど」
あたふたとする彼女の姿は、
保護欲と同時につい苛めたくなるほどに愛らしい。
「あの、えと……すいません。下のお名前って」
「ん?ああ。勇樹だよ」
「……じゃあ」
こほん、と少し大仰に咳払いをすると、
「勇樹……さん?」と上目遣いで口にするその姿は、
まるで物陰からこちらの様子を伺う兎のようだった。
その姿は、しばらく女っ気が無かった俺の心臓を鷲づかみするには、
あまりにも容易いほどに可憐だった。

「君でいいよ」
なんとか平静を装い、苦笑いを浮かべる。
「それはそのう、先輩ですし」
「意外と体育会系?」
「実はこう見えてもずっと陸上やってました」
にっこりと笑う彼女に、俺の鼓動が早まる。
ああ、この年になっても、こうもいとも簡単に恋に落ちるものかと、
自分の単純さを呪うと同時に、
今度拓也に何か奢ってやらないとな、
密かに決意したのだった。

それからも俺と弥生ちゃんは順調に親睦を深めていった。
週末は二人でご飯に行ったり、映画を見に行ったり。
最初の頃はどこか緊張している空気があった弥生ちゃんも、
次第にくだけた笑顔を見せてくれるようになり、
ぽつぽつと自分の話をしてくれるようになった。
反抗期の弟がいてどう接していいかわからなくて困っていること。
最初は友達の付き合いで入った軽音楽部が嫌だったこと。
でも今は仲が良い子がいっぱい出来て、サークル活動が毎日楽しいこと。
将来は幼稚園の先生になりたいこと。
そういったことを、恥ずかしそうに、はにかみながら、
話してくれるようになっていった。

そんなある日、俺はとうとう告白をした。
いつもどおり二人でご飯を食べに行った帰り。
ふと立ち寄った公園。
別にこの日この時しようなんて考えてたわけじゃない。
水を手を受け止めると指の隙間から零れ落ちていくように、
ついつい、本音が漏れてしまった。
それだけの事だった。
あ、しまった。
そう思ったときにはもう遅い。
「弥生ちゃんが、好きだ」
そんな何の飾り気も無い言葉が、宙に舞ってしまったいた。

弥生ちゃんは一瞬で耳まで真っ赤にして、
そして顔を伏せた。
無言。
5秒?
10秒くらい?
まるで何かを一大決心したかのように、
弥生ちゃんは顔を上げて口を開く。
「あ、あの。少しだけ、考えさせてもらっていいですか?」
「え?あ、ああ。うん。勿論」
また無言が流れる。
どうしたもんかと悩んでいると、
「あの、じゃあ、あたしこれで」
と言って、彼女は駆け足で去っていってしまった。
灰色のマフラーが彼女の挙動に合わせて舞っている。
こりゃ失敗したかな、と頭を掻きながら、
踵を返してアパートへと戻る。

するとその夜。
我ながらいまいち締まらない告白に、
どこか気の抜けた俺の携帯電話が鳴った。
「あの、あれからずっと考えたんですけど。
 その、あの、えと……よろしくお願いします」
俺は有頂天になって、その場で飛び上がり喜んだ。
下の階から罵声が飛んできたけど気にしない。
弥生ちゃんは今からバイトということで、
手早く次のデートの約束だけ取り付け電話を切った。
下の階に気遣い、暫くの間忍び足で小躍りを続けていると、
今度は拓也からの電話。
「おめでとーございまーっす!」
「あ?なんでお前知ってんだ?」
「だって俺相談されたんすもん。
 勿論ぐいぐい先輩押しといたんで。
 もう新興宗教も真っ青ってくらいの勢いで」
「お、おお。ありがとな」
「じゃあ今から祝勝会しましょか?先輩ん家で」
「大袈裟だよ馬鹿。まぁいいけど」
「じゃあ弥生っちも誘いますか?あ、じゃあ俺邪魔者になっちゃいますね」
「いや、これからバイトなんだってさ」
「なんだ。じゃあ俺で我慢してください」
「ああ、我慢してやるよ」

その後すぐに両手に酒とつまみを大量に抱え込んだ拓也が来た
二人ともペースが早かった。
チューハイ片手に拓也は
「これ極秘情報なんすけど」
「え?」
「弥生っち。ああ見えて実は結構巨乳らしいっす」
俺は噛んでいたスルメを吹き出した。
拓也の胸倉を掴む。
「な、な、な、何でお前が知ってんだよ?」
「弥生っちの友達に聞きました。実はセフレなんす。弥生っちの友達」
「……お前なぁ」
「華奢で小柄なのに巨乳とか、もろ先輩好みじゃないっすか。この!この!」
そう言いながら肘で突付いてくる拓也。
正直、その情報だけで、勃起した。
「ていうかなんでお前俺の好みまで知ってんだ」
「この部屋にあるAVは全部チェック済みっす」
こんな会話をしながらも、内心俺は拓也に感謝していた。
現金なもので、いつもは少し鬱陶しいくらいの拓也も、
その時ばかりは良い後輩を持ったもんだと誇りにすら思ってしまった。



付き合ってから初めてのデート。
待ち合わせ場所は、いつもの駅前の時計塔。
彼女はいつものように、壁にそっと背を預けて、
少し伏し目がちに、素朴に佇んでいた。
いつも通り五分前に到着する俺を、
安堵したかのような笑顔で出迎えてくれる。
「なんか、改めてだと照れるな」
「ですね」
二人でにやにやと笑う。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
そしていつも通り歩き出す。
ただ一つ違う点は、
俺が無造作に差し出した手を、
一瞬の躊躇の後、そっと彼女が包み込んだこと。
まだまだ吐く息が白い季節に関わらず、
握った手から伝わる彼女の暖かさに幸せを感じた。

その後無難なデートコースを回った後、
手を繋いだまま大きな池のある公園を散策する。
「今更なんだけどさ」
「え?」
「なんでOKしようって気になったんだ?俺のこと」
「え、えぇ……そんなの聞いちゃいますか?」
「気になるじゃん」
弥生ちゃんは余ってる手の方で、俺の肩を軽くはたくと
「意外と意地悪ですね」
と楽しそうに笑った。
「でも、最初に会った時からなんとなく思ってました。
 あたし男の人ってどこか怖いなって思うところあるんですけど、
 勇樹さんは、そういうの全然無かったんです」
「へー。まぁ、俺の方は殆ど一目ぼれだったけど」
あながち嘘でもないが、
あえて茶化すように言ってみる。
弥生ちゃんは面白いくらい顔を赤くして、
目をぱちくりさせながら、
「な!?な!?」と動揺した。
その姿を楽しんでいると、
彼女は少し頬を膨らまして、
「やっぱり、ちょっと意地悪です」
と拗ねるように口にした。
しかし握られた小さな手は、離れるどころか、
むしろ彼女の方から力が込められた。

「ていうかさ、敬語ってやめにしない?」
「え?あー、そう、ですね……でも急には無理かも、です」
「そっか。まぁ慣れたらでいいよ」
彼女は「はい」と嬉しそうに頷くと、
その直後「あ」と何かに気付いたかのように声を漏らした。
俺が視線を前にすると、
数m先からガタイの良い、ダウンジャケットを着込んだ男がこちらに歩いてきていた。
ファッショナブルに短く刈り込んだ黒髪。
どこか威圧感のある顔立ち。
いわゆるヒップホップ系のヤンキーといった佇まい。
その男は真っ直ぐ俺たちの前にやってきた。
「あれ?弥生っちじゃん。彼氏?」
と俺に一瞬目配せした。
弥生ちゃんは少し俺の背中に隠れるように、
「う、うん」とただでさえ小さめの声を、
さらにツマミを絞った声量で答えていた。

その男は「へー」と俺を値踏みするように見ると、
「あ、俺弥生っちと同じサークルの勝って言います」
と、一応敬語を使ってはいるものの、
そこに敬意の欠片も感じられないふてぶてしい自己紹介をした。
「サークル?てことは拓也のツレかな?よろしく」
「ん?拓也知ってんすか?」
「あの、例の拓也君が尊敬してる先輩だよ」
おそるおそる弥生ちゃんが、補足するように説明した。
勝と名乗った男は、その声に大袈裟に反応するように頷き、
「ああ、ああ、ああ。お噂はかねがね。
 あいつ酔うといつも言ってんすよ。
 尊敬する先輩がいるって」
「そんな大した人間じゃないさ。
 あいつが勝手に騒いでるだけだよ」
「そっすか?あいつが尊敬とか、相当だと思いますけど?
 また今度うちのサークルの飲み会にも参加して下さいよ。
 拓也も喜ぶだろうし。あ、勿論彼女連れ込みOKなんで。
 ていうか元々うちのメンバーか」
「ああ。またお願いするよ」

「じゃ、俺はこれで。弥生っちも。じゃな」
「あ、うん」
そんな会話を交わすと、勝君はのっしのっしと肩で風を切って去っていった。
彼との会話中に気になった事が一つ。
握られていた弥生ちゃんの手が少し震えていた。
今も少し顔が青ざめている気がする。
俺は小声で、「あいつ苦手?」と聞くと、
引きつった笑顔で「……あはは」と力なく笑っていた。
その時は、それ以上追及しなかった。
実際弥生ちゃんの様子はすぐに元に戻り、
大したことじゃないんだと思うことにした。

その後、つつがなく初デートを終えた俺たちは、
陽が暮れ始めた中、たまたま偶然、
俺のアパートの近くを通りがかった。
「そういや俺のアパートここの近くなんだ」
「あ、そうなんですか」
「良かったら遊びに来る?」
告白の時と同じように、
言った直後に襲われる、
「あ、しまった」の後悔。
下心丸見えだろうか。
でも近くを通るんだから、話題にしないのも不自然だよなぁ。
そんな自己批判を繰り返していると、
「あ、はい。行ってみたいです」
と予想外の返事。
その無垢な口調と表情に、少し罪悪感を覚える。

こんな事もあろうかと、部屋は事前に掃除しておいた。
物珍しそうにきょろきょろと室内を見渡す弥生ちゃん。
「珍しい?」
「あ、はい。男の人の部屋ってあんまり見たことないんで」
「あ、俺が初めてじゃないんだ。ショック」
と冗談で、悲しむ演技をする。
「あ、あ、あ、違いますよ?サークルの男友達の部屋に皆で行ったことあるだけですから」
わたわたと慌てる彼女を見るのは楽しい。
夕食は済ませていたので、お茶を入れてのんびりとくつろぐ。
俺も最初は下心は無かった。
向こうも言わずもがなだろう。
しかしそこはやはり若い男女が密室で二人きり。
ふと目が合った瞬間、キスの一つや二つ、してしまうものだろう。
彼女の唇は少し震えていた。
緊張している姿は愛おしい。

雰囲気は良い。
そのまま押し倒してしまうかどうか迷う。
ついつい視線が胸元に。
拓也の言葉が断片的に脳裏によぎる。
「弥生っち。意外と、巨乳」
実のところ、言われずとも気付いていた。
小柄で細身の身体のわりには、
明らかに胸元が存在をアピールする身体のライン。
俺は彼女の覚悟を試すように、
そっと優しく、彼女の上半身を後ろに倒した。
何の抵抗も無く、俺に身を任す弥生ちゃん。
そのまま、情欲に心を明け渡す俺。

しかしその刹那、弥生ちゃんの目尻から涙が零れた。
それを見た瞬間、俺は我に帰った。
「あ、ごめん」
そうだよな。いきなりなんて嫌だよな。
彼女は首をふるふると振って、
「いえ、あたしこそ、急に泣いちゃって、
 あの、すいません、嫌じゃないんです。
 ちょっとびっくりしただけで」
「そう、なのか?」
「はい、本当大丈夫です。
 あの……その代わり、もう一回ちゃんと言ってもらっていいですか?」
その言葉の意味が判らないほどに、俺は間抜けな男ではない。
俺はしっかりと彼女を見つめ
「弥生ちゃん。好きだ」とはっきりと言った。
すると彼女も、自分で目尻を拭うと微笑み、
「はい。あたしも、好きです」と俺の首に腕を回してきてくれた。

彼女の身体はとても甘く、そして柔らかかった。
噂の美巨乳は推定Eカップほどの、とても綺麗なお椀型だった。
実は密かに、処女なのではないかと危惧(期待?)していたのだが、
流石にそんな事はなくて、安心したような、落胆したような、
なんともいえない複雑な感情に飲み込まれた。

彼女の中は、今まで経験したどの女性よりも狭く、そして熱かった。
か細く、切ない吐息を間近に耳で受けながら、
俺はすぐに果ててしまった。

気だるい空気の中、お互いの体温を感じながらベッドで寝そべる。
性欲が無くなった今、彼女の健康的な肌と体型は、
ただただ美しいとしか思わなかった。
手触りの良い肌と、そして愛撫する手を包み込む柔肉の感触を楽しみながら
「そういやさ、昼間の勝君、だっけ?」
「……はい」
「なんかあったの?」
特に根拠は無かった。
というよりは、ただ場繋ぎの会話がしたかっただけ。
彼女は少しの間を置いて、おずおずと答えた。
「昔、一回告白みたいなことされたんです」
「みたいなこと?」
「言葉濁してたんですけど、まぁ、大体そんな事言われました」
「そっか」
「あ、勿論断りましたよ?」
「そうなんだ。わりと良い奴っぽいけど」
「……ああいう男の人は、なんだか怖いです。
 勇樹君みたいな人が良いです」
「あ」
「え?」
「君づけで呼んでくれたじゃん」
「あ」
弥生ちゃんは顔を赤くして、そっぽをむいてしまった。
俺が満足気に笑っていると、
「言ってません。勇樹さんです」
「言ったし」
追求しながら、細くも着くべき肉がついている太股を撫でる。
「あっ、もう。そんなやらしい勇樹さんはずっと勇樹さんですからね」
「はいはい」
強引に振り向かせ、唇を重ねる。
「好きだよ。弥生」
「……はい。あたしも、です。勇樹君」
「敬語要らないって」
もう一度キス。
「んっ……いります、よぉ」
その後何度も身体を重ねた。
弥生は華奢な身体で、俺を何度も受け止めてくれた。
幸せな夜だった。
時折休憩がてらに笑いあい、
そしてそれに飽きたら愛し合った。
これからも、こんな幸せな夜が続くことを、
どちらからともなく確信しあった。



それから数週間が経った、とある平日の夜。
弥生がバイトで捕まらなかった俺は、
丁度拓也からの遊びの誘いに乗り、
久しぶりに拓也の部屋に遊びにいくことになった。
軽い半同棲みたいになっている俺の部屋には、
今まさに、弥生の下着が干されているからだ。

「どうっすか弥生っちとは?ラブラブらしいじゃないっすか」
「なんだよ急に」
「弥生っち、最近学校でもすごい活き活きしてるんですよ。
 それで俺も便乗して、『ほらやっぱり先輩は偉大だろ』って布教してるんす」
「やめろ馬鹿」
「まぁ何はともあれ、順調そうで何よりです、っと」
拓也の携帯が鳴った。
「はいもしもし。……はい……はい。あ、本当だ」
ズボンのポケットをまさぐりながら
「すんません、すぐ行きます」と謝る拓也。
「どした?」
「いやバイト先の鍵持って帰ってきちゃって。
 すいません。ちょっと行ってきます」
「ああ、じゃあ帰ろうかな」
「ええ〜、良いじゃないですか金曜日だし。
 一時間くらいで戻ってこれると思うんで、
 適当に遊んで待っててくださいよ」
「まぁ良いけど。じゃあさっさと行ってこいよ」
「すんません。じゃあ」

拓也が慌てて上着を着込んで出て行く後姿を、
軽く溜息混じりに見送ると、
なんとはなしに携帯を取り出して、
弥生からのメールをチェックする。
『今休憩中です!あんまり拓也君と仲良いと嫉妬しちゃいますよ?』
ニヤニヤと、我ながらだらしない顔でそれに返信すると、
本格的にやることがなくなった。
「一人でゲームしててもなぁ……」
そう一人呟きながら周りを見渡すと、
部屋の片隅にノートPCが見つかった。
「ネットでもしてるか」
そう思いながらPCを立ち上げると、
なんとパスワードを要求された。
「えらっそうに。どうせ大したデータも無いくせに。
 あいつの事だから、どうせこの辺にでも……」

予感は的中。
パスワードらしき文字列が記載されたメモが、
PCの底に貼り付けられていた。
「ていうか一人暮らしなんだから、別にパスとか要らないだろ」
PCが立ち上がるのを、特に興味も無い様子で見守る。
見慣れた普遍的なデスクトップ。
俺はまっすぐにIEのアイコンにカーソルを移動したが、
その際に、とあるフォルダに興味が惹かれた。

『戦果』

なんだこれ?
ゲームかなにかのフォルダか、と思い
ついつい好奇心でフォルダを開ける。
すると中には更に複数のフォルダが存在していた。
少なくとも数十個。
そしてそのフォルダは、フォルダ名の五十音順で並んでいて、
一番最初のが「あい」次が「えみ」といった感じで並んでいた。
なんとなく察した俺は、「あい」のフォルダを開く。
すると中には、テキストファイルと動画ファイルが交互に配置されていた。
一番最初のテキストを開いてみる。

『あい。大学の二つ上の先輩。
 顔はまぁまぁ。スタイルは良さげ。
 結構向こうから色目使ってくるので、
 簡単にやれそう』

そしてその横の動画ファイルをクリックすると、
再生されたものは、予想どおりその「あい」という女と
拓也がセックスしている動画だった。
その光景は見覚えがある。
それはそうだろう。
今まさに、俺がいる場所だ。
しかも隠し撮りのようだ。
ベッド全体が真横から見渡せる映像。
振り向いて、カメラが置いてあったと思われる場所を探る。
今は何も無いが、周りにおかれたバッグや箱は、
いかにも普段カモフラージュに使われてそうな雰囲気だ。

「あいつこんな趣味あったのかよ」
勝手にプライベートを覗き見してしまった罪悪感に苛まれる。
次にテキストを開くと、

『簡単に生でやれた。そのうち飽きたら3P要因だな」

などと書かれ、そして次の動画を開くと、
生でやっている様子が鮮明に映し出されていた。
要は、動画の趣旨説明を、一つ前のテキストで説明しているようだ。
フォルダのトップまで戻ると、その数の多さに唖然とする。
単純にこれだけの女性と関係しているというのもそうだし、
それだけの女性を盗撮し、尚且つテキストで記録しているというのは、
どこか病的な気すらした。
俺は何気なく、女の子の名前が書かれたフォルダを見渡していった。
そこにあるはずの無い名前を探すかのように。
しかしそれはあった。
五十音順に並べられた、最後のフォルダ名。

「やよい」

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