あたしの名前は花本香織。
27歳。
新婚ほやほやの若奥様、のつもり。
ただ旦那とは結婚前の付き合いが長いから、
あんまり初々しさってのは、残念ながらなかったりする。
まぁあんまりべたべたするのは苦手だし、
あっさりした付き合いが好きだから、
どっちかっていうと今の雰囲気は逆に有り難かったりする。
でもやっぱり、たまには思いっきり甘えてみたい。
旦那は大学からの付き合いで3つ上。
今改めて考えると、年上の人っていうのが良かったのかもしれない。
ついつい甘えてしがいがちだけど、
やはり頼りになる部分が大きい。
とにかくそんなわけで、結婚生活はわりと上手くいっていた。
わりと、じゃないか。
理想っていってもいいのかも。

でも最近、少し不安になることがある。
それは、このところ、夜の生活が無くなってしまったことだ。
もともとそんなエッチが好きなほうではない、とは思う。
うそ、ごめん。
それなりに好きだ。
でも誰でもいいからしたい、なんて思ったことはない。
生理前にはムラムラしちゃうけど、
でもやっぱり、エッチは好きな人とするから気持ち良いんだと思う。
無かったら無かったで別に良いや、
と強がれなくもないけど、
やっぱり寂しい。
好きな人とは、肌を合わせたいと思う。
女の子だし。
子って年でもないか。反省。
それにしてもなんで急に無くなったんだろうか。
疲れた、といつも言われる。
実際仕事は忙しそうだから、仕方ないのかも。
うん。
仕方ない。
でも、
やっぱり少し寂しいな、って思ったり思わなかったり。



「ほら!ちゃっちゃとそれ食べて」
香織に急かされながら、朝の食卓につく。
いつもの風景。
香織は鼻歌をくちずさみながら、俺の弁当におかずを詰め込んでいる。
その背中を眺めながら、少し焦げ目のついたトーストを齧ると、
ついつい溜息がでてしまう。
香織は振り返ると、
「なに?朝っぱらから。辛気臭いなもう」
と呆れ顔。
元々愛嬌のある顔なものだから、
眉が吊り上ったところで可愛さは一片たりとも損なわれない。
「体調悪いの?休む?」
顔を覗き込み、心配してきてくれる。
「いや、あまりにこのパンが美味くってな」
「そのパン賞味期限切れてたけどね」
「そんなん食わすなよ」
「冗談よ」
カラカラと笑う香織を見て少し安心する。

「じゃ、行ってくる」
玄関先で、靴を履きながら、台所で洗い物をしている香織に声を掛ける。
「あ、待って待って」
背後から、パタパタと足音。
「忘れ物あったっけ?」
立ち上がりながら、振り返る。
すると香織は俺のネクタイをぐいっと引っ張り、
そして素早くキスをして、ニコっと笑う。

「もー、ネクタイ歪んでるよ」
「いやお前が引っ張ったからだろ」

笑顔のままネクタイを直す香織を見て、
改めて可愛いと惚れ直す。
明るいところで見れば、うっすらと茶色の髪。
ボディパーマをかけたふわふわの長髪は、後ろで束ねられている。
すっぴんでも濃い睫毛に、ぱっちりとした大きな目。
どちらかといえば小柄で手足も細いのに、大きな胸と尻。
普段は江戸っ子体質なのに、
Hの時になると急に恥じらう乙女になるギャップ。

全てが俺のど真ん中ストライクのはず。

なのに、何故だろう。

俺が勃たなくなってしまったのは。



「あれじゃないっすか?浮気してるとか?」
「それはないな〜」
「いやわかんないっすよ」
「わかるんだな、それが」
「何でですか?」
「そりゃ君。愛だよ愛」
「ははは」
「なんだその乾いた笑い声は」
「いや花本さんって面白いなーって」
「それはどういう意味で?」
「いや別に」

いかにも今時の大学生って感じの、
短めの髪をワックスで程よく気合入れてるのは菊池君。
その黒ブチ眼鏡も、オシャレといえばオシャレだな。うん。
おねーさんは嫌いじゃないぞ。
だけど、勤務中は私語を慎めよ。

「ていうかアンタ。普通にセクハラだから」
「いや、でも聞こえてきたんだから、仕方ないじゃないですか」
「ったく。最近の子供はませてんだから」
「俺もう二十歳ですけど」
「子供じゃない」
「そんな変わらないでしょ」
「あら上手いわね坊や。
 そんじゃあたし休憩入るから。
 あとよろしくね〜」
「いや本当ですって」
「はいはい」
片手をひらひらとなびかせながら、
菊池君をレジに残して、休憩室という名を兼用で冠する、
雑居房のような事務室に戻る。
そこにはパート仲間の北川直美ちゃんがいた。

あたしより二つ下の25歳。
大学時代からの後輩だ。
少し見た目は派手だけど、仕事は真面目だし、
その見た目とは裏腹に体育会系なもんだから、
上下関係もしっかりしていて話しやすい。
このあいだ、大学時代のバレー部の同窓会があって、
その時に再会し、最近勤めていた会社が倒産して、
繋ぎで何か良いバイトはないかと相談され、
あたしがここを紹介したという流れ。

菊池堂。
老舗の古本屋。
その名の通り、菊池君のご先祖様が始めたお店、らしい。
現オーナーである彼の父親は、殆どこの店に顔を出さない。
もうそろそろ勤めて一年というあたしでも、顔を拝んだのは一度か二度。
戦後まもなくから始まったこの店は、
今では菊池家のただの象徴になっているそうで、
本業としてはマンション経営をされてるんだそうだ。
それで次期当主の菊池君には、
社会勉強として、ここで働かせているとのこと。
話題の漫画や小説などは一切並んでいないが、
一部の好事家には垂涎ものの、
まるで骨董品のような本もあるらしく、
まぁ黒字とはいわないが、
なんとか趣味で続けられるくらいの経営状況ではあるらしい。
客なんか殆どこないのに、バイトだって数人いる。
レジでちょこんと座りながら、
FMを聴いてれば良いだけの仕事だ。

「すいません先輩。あたしの声がでかかったから」
「あ〜別にいいよ。あんなくらいのセクハラじゃビクともしませんとも」
欠伸を噛み殺しながら、直美ちゃんの謝罪を受け流し、
パイプ椅子を広げて座る。
先日、この休憩室で、二人きりだと思っていて、
ついつい女同士の井戸端会議を始めてしまったら、
裏の倉庫で菊池君が整理をしていて、その内容を聞かれてしまった。

最近、あたしと旦那がご無沙汰だってこと。
あたしから誘っても、疲れてると拒否されてしまうこと。
そりゃそんなこと、他人に聞かれていい気はしない。
でもまぁ、聞かれてしまったものは仕方がない。

「それよりさ。そっちはどうだったの?仲直りした?」
「いやぁ、ダメですね。彼氏もあたしも何か素直になれなくて」
「だめだよ〜。そういうのって尾を引くよ?すぱっと謝っちゃいなよ」
「ですよねぇ……先輩のとこは喧嘩ってします?」
あたしは煎餅を一齧りすると、片手をぶんぶんと振る。
「へ?あ、うち?ないない」
「いいなぁ、ラブラブで」
「いや旦那が大人だからさ。結構我慢してもらってる部分あると思うけどね」
「いいなぁ年上の人。あたしもそうしとけばよかった〜」
「あたしもいつまで甘えてばかりじゃダメなんだけどね」

あたしが二枚目の煎餅に手を伸ばすと、
香織ちゃんがお茶を入れてくれる。
「お、あんがと」
すると不意に後ろから声。
「まぁでも、花本さんとこも危ないっちゃ危ないですよね」
煎餅を咥えたまま、眉間に皺を寄せて振り返ると、そこには最近の若者の姿。
「ちょっと菊池君!レジは!?」
あたしの心中を、直美ちゃんが代弁してくれた。
「いやだってどうせ誰も来ないでしょ?俺も仲間入れてくださいよ」
「そういう問題じゃないでしょ」
パイプ椅子を引っ張りだし、それを広げようとする菊池君に詰め寄り、
彼の肩を押して部屋から追い出そうとする直美ちゃん。
「ちょ、ちょ、危ないですって」
「いいから早く戻んなさい」
「お、いいぞ。やれやれ」
「ちょ、花本さん。煽ってないで止めて。
 ていうかそれ俺の煎餅……」

やがてバタンと音を鳴らして締まる事務所のドア。
「まったく……オーナーも甘やかしすぎなんですよね」
両手をぱんぱんと叩きながら、吐き捨てるように呟く直美ちゃん。
「ま、お金持ちのご子息だからね。
 どう?直美ちゃん。玉の輿狙ってみたら?」
「え〜、さっき年上が良いって言ったばっかじゃないですか」
「見た目は結構良いじゃん」
「んーまぁ、見た目だけなら。でも子供っぽいんでパスです」
「そう?勿体ないな。お金持ちなのに」
「そんなこと言って……
 じゃあ先輩は旦那さんがお金持ってたから結婚したんですか?」
「あっはっは。んなわきゃないじゃん。
 ていうか結婚当初はあたしのがお金持ってたくらいだしね。
 今のマンションだって、頭金は全部あたしが払ったんだよ」
「へー、先輩すごいですね」
「それが男のプライド燃えさせたのか、今じゃばりばり働いてるけどね」
「……ふーん」
直美ちゃんは、そう答えながら、指をモジモジとさせると、
「……えっと、そうだ。じゃあアレですね。
 それで、今すごい疲れてるのかもしれませんね」
と無理矢理作ったような、明るい笑顔で言葉を続けた。
その気遣いに、苦笑いを浮かべる。
「まぁ、男の人だって、年中発情してるわけじゃないからさ」
「いやでも花本さん相手でしょ?俺だったら年中発情しますけどね」
ドアが開きながら、その隙間から菊池君の声。
それを遮るように、直美ちゃんの蹴りがドアを叩く。
「んがっ!」
鈍い音の直後、倒れる。
「あー、あー、あー」
一応様子を見ようと、腰を上げるが、
「いいんですよ先輩。盗み聞きするような出歯亀は放っておいて」
とつっけんどんな直美ちゃん。

「いたた。いやこのドア薄いから、聞こえてくるんですって」
よろよろと額を押さえながら入ってくる菊池君を
「それじゃあ早いとこ交換よろしくお願いします。店長代理」
と迎撃する直美ちゃん。
しかしその嫌味を全く意に介さず、
堂々とした立ち振る舞いで、
今度こそパイプ椅子を広げ、ゆっくりと腰を下ろす菊池君。
最近の若者は軟弱と、よくマスコミは囃し立てるが、
なかなかどうして、彼のようなツワモノもいるものだ。
「まぁ検討しときます。ていうかアレですね。
 北川さんも彼氏と喧嘩中なんですか?」
前言撤回。
やはりただ無神経なだけか。
(というか『も』って何よ『も』って。
 あたしは別に喧嘩したわけじゃないぞ)
その言葉に一瞬で顔を赤らませ、
拳を握り振りかぶる直美ちゃん。
「わわ」
慌てて防御体制をとる菊池君。
しかし拳は、振り下ろされなかった。
「……ふぅ、そうよ。文句ある?」
「とんでもない。ただ、俺で良ければいくらでも相談のりますよ」
「はいはい」
「いやマジで。ていうか、少なくとも男心なら俺のがわかるでしょ?」
「そりゃそうだ」
横槍をいれるあたし。
「でしょ?ほら、花本さんもこう言ってますよ」
「はいはい。気が向いたらね」
「いつでも連絡くださいよ」
「ていうか、菊池君の番号なんて知らないし」
「え?初日とかに絶対渡してますよね?」
「そんなの登録してないし」
「うわ、ひどい。花本さん、なんとか言ってあげて下さいよ」
「ごめん、あたしもしてないわ」

口をあんぐりと開けてショックを受けている菊池君。
その顔に、ついつい拭きだしてしまう。
「ぷぷっ、嘘よ嘘。ほら、ね?あたしは登録してあげてるから」
彼の肩を叩きながら、携帯を開いて電話帳を見せる。
「……菊池の池が地になってるんですけど」
「え?あ、ご、ごめん……」
「と、とにかく、店長として、パートさんの相談に乗るのも大事な仕事なんで」
「代理でしょ?」と直美ちゃんのつっこみ。
「気持ちの問題です」
「わー、頼もしー」
棒読みで、そう賞賛の声をあげるあたし。
「む、馬鹿にしてますね?
 花本さんの問題に対しては、すでに秘策があります」
「へー、すごいー」
三枚目の煎餅を掴みながら生返事。
「ふ、そうやって馬鹿にしてられるのも今のうちだけですよ」
眼鏡を押し上げながら、不敵な笑みを浮かべる菊池君。
気のせいか、いつもは人当たりの良さそうな瞳が、
鋭い眼光を放った気がする。
「ま、聞くだけ聞いてやるからさっさと話しなさいよ」
と何故か、直美ちゃんがその答えを急かす。
「ふふ、それはですね……」



「ただいま」
本当なら浮き足立つほどに楽しい帰宅。
ここ数ヶ月、それが少し重い。
夜が更けた時、どう断ればいいものか。
いつまでも、九官鳥のように「疲れてる」を繰り返すわけにはいかない。
最善手は、素直に妻に相談することだとはわかりきっている。
そんな事で、自分を蔑むような女性じゃないのはわかりきっている。
きっと、心の底から俺のことを案じ、そして献身的に支えてくれるだろう。
しかし、男としてのちっぽけなプライドが邪魔をしてそれが出来ない。
マンション購入の件にしたってそうだ。
無理して年上の男を作り上げようとしている。
なんと矮小な男だろうと、自分でも情けなくなる。
一応病院にはいってみたものの、
心因性としか診断が下されなかった。
身に覚えは無い。
仕事も家庭も、順調そのものだったのに。

「あ、おかえりー」
そんな俺の苦悩などどこ吹く風で、
香織の笑顔はとても明るい。
それが唯一、俺の心を暖めてくれる。

目の前に並べられる晩御飯。
「いただきます」
「はい召し上がれ」
可憐で天真爛漫な妻。
その手料理。
冷えたビール。
それを楽しみながら、
夫婦の会話。
至福の時間。
一度会話が途切れる。
静寂すら心地良い。
そして香織の口が開く。
「そういえばね」
「ん?」
「あたし、バイト先の男の子に告白されちゃった」
「……は?」
「だから、告白されちゃった。大学生の男の子に」
「え?……は?」
「いやだから」
「うん」
「告白」
「うん」
「された」
「おお」
「大学生の男の子に」
「大学生?」
「そう。大学生」
「……何大?」
「引っかかるとこそこ?」
それもそうだ。
いかん。冷静になれ。
まずは飲み物を飲んで落ち着こう。
そう思ったはずなのに、
何故かエビフライを齧っている。
「そ、それは、あれか?お付き合いしたい的なあれか?」
「ま、ね」
妻は得意気にニヤニヤしている。
「そ、そうか。うん。まぁ、わかった」
きっとこれは、俺のリアクションを楽しんでいるに違いない。
わざわざ報告してきたのだから、他意はないのだろう。
落ち着け。
「それで、どうするんだ?」
俺のその言葉を聞くと香織は、口をあんぐりと開けて硬直した。
すると、お腹を抱えて笑い転げ始める。
やがて落ち着くと、
「ど、どうすんだ?って……どうもしないでしょ〜。
 あ〜お腹痛い」
と涙を拭きながらそう言った。
やはりからかわれただけか。
「む。ま、まぁ、それもそうだな」
「当たり前でしょ。一応、報告しとこうかなって思ってさ」
「そうか。まぁ、お前は可愛いからな」
ささやかな逆襲。
「んなっ……」
顔を引きつらせ、顔を真っ赤にする香織。
それを見届けると、俺は溜飲を下げて、
エビフライの残りを飲み込んだ。



次の日の菊池堂。
出勤してみたら、相変わらず客の姿は無く、
レジにぽつんと菊池君が座っているだけだ。
いつも通りの光景。
彼はあたしの存在に気づき、そして口を開く。
「どうでした?……いてっ」
「どうもこうもないわよ」
そう言いつつ、菊池君の背中を叩いた。
「でもなんか、機嫌良さそうですけど?」
「ん〜そう?あはは」
別に久しぶりに夜の生活があったわけじゃない。
ただ、面と向かってあんなことを言われたのは、
一体いつ振りだろうか。
いくつになっても、好きな人に可愛いと褒められると、
ついつい顔が緩んでしまう。
それだけで、菊池君の策に乗った価値はあるというものだ。
「焼き餅作戦はダメでしたか〜」
「多少の効果はあったんじゃない?
 ま、もういいよ。夫婦の問題だしさ。
 あんがとね。色々考えてくれて。
 はい、じゃ、あとはおねーさんに任せて休憩行った行った」
レジに座る菊池君の背中を押して退ける。
「んー、自信あったんですけどねー」
「もう。まだ言ってる」
「いや気になるじゃないですか。
 こんな人が嫁なら俺絶対毎晩やばいっすもん」
一度本当にセクハラで訴えてあげようかしら。
まぁ、嫌な気はしないけど。
魅力があるってことだもんね。
ただやはり、旦那に言われるのとはワケが違う。
もし旦那に、「毎晩でもしたいくらい魅力的だよ」
なんて面と向かって言われたら……
ああやばい、濡れる。
「じゃ、やっぱり浮気とかですかねぇ?」
「それはない」
即答。
「何でですか?」
「愛だよ愛」
「それ昨日も聞きましたって」
「とにかくその可能性は除外。
 ほら、休憩行った行った」
あのリアクションは、思いあがりでもなんでもなく、
あたしのことを想ってくれているものだ。
そう、きっと疲れてるだけ。
あたしはやいやい言わず、
ただじっと待ってればいいのだ。
そう思いながら、菊池君の背中を押す。
「うーん。じゃあ……飽きた、とか?」
その言葉に、心臓が跳ね上がる。

その可能性を、考えないでもなかった。
菊池君を事務所へ追いやると、
小さく溜息をつく。
付き合いが長いとはいえ、あたしは勿論、そんな気配すらない。
しかし男の人は、やはりそうなのだろうか……
さっきまでの浮かれていた気分が、嘘のように重くなる。
いつもは心地良いラジオから流れるFMが、少し耳障りだ。



猛暑日。
こんな日の真昼間から、いい年をして使い走りをさせられている。
コンクリートから湧き出る蜃気楼にすら腹が立つ。
しかしそれでもその仕事を引き受けたのはこの為だと、
自販機の陰から顔を出し、自分を納得させる。
看板には、『菊池堂』の文字。
まるで老舗の旅館のような佇まい。
初めて見る香織の勤め場所。
正面入り口の窓ガラスからは、レジに座る香織の姿が小さく見える。
頬杖をつき、どこかしら憂鬱げな表情。
その背後に若い男が近づき、
そして香織の肩に、手をかける。
「なんだあのチャラそうな奴は……
 もしかして告白したのってあいつか?」
香織は立ち上がると、奥のほうへと消えて行った。
しばらく悩んだ後、意を決して、店に入る。
「あ、いらっしゃいませー」
来客が珍しいのか、俺の入店に少し慌てて立ち上がる男。
「……いや、客じゃないんだ」
「え?」
すらっとした長身に、こざっぱりとしたファッション。
愛嬌のある、しかし堀の深い顔立ち。
二十歳くらいだろうか?
放っておいても、女は寄って来るであろうことが、
容易に想像できるその雰囲気。
嫉妬心が、めらめらと燃え上がる。
「ここで働いている花本香織の夫です。
 いつも妻が世話になってます」
そう言い、軽く頭を下げる。
一体俺は何をやっているんだろう?
馬鹿馬鹿しい。
「え?ああ花本さんの。ああ、こちらこそです」
男は、人好きのしそうな笑顔で答える。
「いや、一度妻の職場を見たくってね」
「そうですか。良かったら奥さん呼んできましょうか?
 すぐ裏にいるんで」
「ああ、いや結構だよ。仕事の途中で寄っただけだからね」
香織に告白した男が彼とは確定していない。
しかしそれほど多い従業員を抱えているとも思えない。
自分が香織の夫と自己紹介したとき、
少し目が泳いでいた。

人の嫁になに手を出してるんだ?
そう恫喝したい気持ちが、無かったとは言えない。
しかし今は、そんな気分は完全に霧散してしまっている。
それは、年甲斐もなく、自分が恥ずかしいという気持ちと、
そして目の前の、女性に振られたこともないような、
魅力的な若い男に対する、優越感。
お前が振られた女は、自分のものだという、
本能から来るであろう恍惚。
どちらにせよ、年甲斐もなく、恥ずかしいと自嘲気味に笑う。
勃たなくなってしまってから、
男として、少し自信を失くしていたのかもしれない。

「仕事の邪魔してすまないね。
 妻にはよろしく伝えといてくれ」
「はい」
踵を返し、入り口のドアを開けて出る。
家に帰ったら、また馬鹿にされるんだろうなと、一人笑う。



珍しく来店を知らせるベルが鳴っていた。
どんな客かと覗いてやろうと、事務所のドアを少し開ける。
しかし、その来客はもう帰ってしまっていたらしく。
店内には菊池君が居るだけだ。
「あ、花本さん。旦那さんが来てましたよ?」
「は?」
素っ頓狂な声で返事をしてしまう。
「きっと相当ヤキモチ焼いてたんでしょうね。
 いやー、愛されてるじゃないですか」
「ば、馬鹿じゃないの仕事中に。
 帰ったら、もう、あれだね、晩御飯抜きだね今日は」
そう呆れた振りを取り繕いながらも、頬が紅潮し、
顔はだらしなく緩んでいることを自覚してしまう。
菊池君の、ニヤニヤしている表情がむかつく。
八つ当たりのように、肩を叩く。
「はっはっは。花本さん顔真っ赤ですよ。
 まぁ良かったじゃないですか。
 あ、そういえば、休憩入ってもらったばかりで悪いんですけど、
 ちょっと外出してきて良いですか?
 大学の部室にちょっと忘れ物してきちゃって」
「ん、まぁ良いわよ」
照れ隠しの為に、憮然とした表情でそう答える。
「すんません。じゃ」
そう言い、菊池君は軽い足取りで店を出て行った。
それを見届けると、もう遠慮は要らないと、
顔がアホみたいに綻ぶ。
携帯を取り出し、「ばーか」と文字を打ち、
そしてハートマークの絵文字をつけて、
旦那にメールを送った。
さて帰ったら、このネタでどうやって旦那をいじめてやろうかと思案する。
要は、いちゃつきたいのだ。
それに普段いじめると、ベッドの中では、逆にいじめてくる。
そんな事を考えていると、少し下腹部がうずく。
(ま、最近はご無沙汰ですけど。
 ていうか、なに勤務中にときめいてんのあたし?
 欲求不満なのかなぁ……)



色々と考えながら帰宅する。
とりわけ、昼間の件を嫁にどう言い訳するか、だ。
照れくさくてメールの返信はしていない。
きっと嫁も呆れているんだろうが、
ただ悪く思っているわけではなさそうだ。
本当に機嫌が悪いと、絵文字なんて絶対使わない。

玄関の前で一呼吸入れる。
少し憂鬱だ。
本当に、年甲斐にもなく、みっともない事をしてしまったと思う。
「ただいま」
ドアノブを引きながら、抑え気味の声量で帰宅の挨拶をする。
「おかえり〜」
台所の方から、元気な声が聞こえてくる。
間違いなく、機嫌が良い声。
ネクタイを緩めながら家の奥に進む。
料理をしながら背中越しに
「今日も暑かったでしょ?」と嫁の声。
「ああ。湿度がたまらんな」と何食わぬ口調を装い返事をする。
しかし
「会社からあんなところまで歩いてきたらさ」
香織は振り向きながら、口端を吊り上げながらそう言った。
俺はあくまで無表情で
「何のことだ?」と食卓に座りながら夕刊を広げる。
「別に」とニヤニヤしたままの香織。
俺は一つ息をつくと、新聞を置き、
「あのな。たまたま前を通りかかっただけだ。
 それで……その、あれだ。
 夫として妻の職場は見とかないとな」
「はいはい」
香織は愉快そうに俺をそうあしらうと、
電気コンロに振り返り料理を再開した。
そして
「ま、嬉しかったけどさ。ぶっちゃけ」
と、背中越しにそう口にした。
俺は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるが、
存外悪い気分ではない。
嬉しい、と素直に言うべきか。
今更愛を伝えるのに、言葉を使うのはどうしても照れ臭い。
行動で分かり合えるのなら、それが一番良い。

そろそろ日付が変わろうかという時間。
香織はいつも通りニュース番組を観ながら、
あーだこーだと世の中の矛盾を指摘している。
俺は子守唄を聞くかのような心地で癒されていく。
誰にも言ったことはないが、香織の一番好きなところは声だ。
ふわふわで甘い香りのする髪でもなく、
大きく張りがある胸でもない。
冬の雪国の清流のような、冷たくて、
しかし澄み通った河水のような声。
いつまでも聞いていたくなる。
そんな隠れた(?)嫁の美点に惚れ直していると、
いつの間にか香織は俺に寄り添うように、
ソファに座りなおしていた。

俺の太股を、香織の人差し指が軽く突付く。
「……ね?」と囁くと、照れくさそうに上目遣いで俺を見上げる。
頬はうっすらと紅く染まり、瞳が潤んでいた。
恥じらいながら、男を求めるその姿を、
可憐だ、と強く思う。
年甲斐もなく鼓動が早まる。
そして、パジャマの胸元から見える白くキメ細やかな肌。
余計な贅肉がついていない、しかし触り心地の良い肉感溢れる身体。
男としての本能がくすぐられ、
その場で押し倒したい欲望に駈られる。

しかし、そんな興奮とは関係無く、
俺の股間は微塵の反応も見せない。
香織の表情をそっと盗み見る。
相変わらず潤んだ瞳で、俺の胸元を見つめている。
視線が会うと、照れくさそうにはにかんだ。
胸が締め付けられるほどに愛おしい。
しかし、そんな嫁を抱けない自分が、
それ以上に恨めしい。
筆舌に耐え難いほど情けなく、そして腹立たしくもある。

香織の指先をそっと握り、
「……すまん……疲れてるんだ」
と、出来る限り男としての威厳を保ったまま香織に伝える。
男の威厳。
この期に及んで、馬鹿馬鹿しい。
嫁の気持ちも考えないで、自己保身ばかり。
しかし、香織を愛しているからこそ、
自分を偽ってしまう。
愛されたいから、弱い自分を曝け出したくない。
安いプライド。
本当に大切なものは何なのか。
重々にわかっているはずなのに。
秤に比べても、その比重は明確なのに。
なのに、俺は事実を伝えることが出来ない。

香織は悲しそうに視線を伏せて、
「……ごめん」と叱られた子犬のように呟いた。
気まずい沈黙が流れる。
香織は立ち上がり、「先……寝てるね……」と、
パタパタとスリッパを響かせ去って行った。
大きな溜息が出る。
いい加減、どうにかしないと。



「は〜〜〜……あぁ〜〜〜……」
「どしたんですか?何かあったんですか?
 って聞いてもらいたいかのようなワザとらしい溜息ついて」
直美ちゃんといつもの、事務所でのティーブレイク。
「何かあったの?って聞いて」
「えぇ〜。何か今回は重そうだからパスしたいんですけど」
「だめ。先輩命令」
「もうしょうがないですね。何かあったんですか?」
「……別に」
「うわ。めんどくさ」
二人で学生時代のように話し、そしてクスクス笑う。
しかし心の曇りは取れない。

あたしは机に突っ伏して、泣き言を言う。
「なんかさー。ちょっとわかんなくなってきたー」
「え?」
「浮気してんのかなー?」
「旦那さんがですか?」
「うん」
「んー。わかんないですけど」
「だってさだってさー。もう半年だよ?一切無いとか有り得なくない?」
「先輩から誘ってみたらいいじゃないですか」
「昨日めちゃくちゃ誘ってみたんですけどー」
机に額を押し付けたまま、手足をばたばたさせる。
「え?で、駄目だったんですか?」
「そうですー。駄目でしたー」
口を尖らせ、子供のような拗ねた口調を演じて受け応えをする。
あまりシリアスな雰囲気で喋ると、余計気が滅入りそう。

「んー。じゃあまぁ、あれじゃないですか?ED?とか?」
「えー?そんなんだったら言ってくれるっしょー」
「いや案外言い辛いんじゃないですか?男の人って。
 うちの彼氏も昨日……あ、やっぱ無し」
直美ちゃんは苦笑いを浮かべる。
いかにも余計なことを言っちゃった、って表情だ。
折角の気晴らしになりそうなネタ。
やすやすとは逃さない。
「なによ?言いなさいよ」
「いやぁ……その……たはは」
バツが悪そうに、でも耐え切れないといった感じで、
にへらと表情を和らげると、
「実は昨日仲直りしちゃいまして、そのまま燃え上がっちゃって、
 そんでもうずっとしちゃっててですね、
 4回戦求めたんですけど何か歯切れ悪くて、
 で、問い詰めたら『ごめん。もう無理』って。
 やっぱり男として情けないと思うのか、
 自分からは無理って言い辛そうでしたよ」と矢継ぎ早に言った。
「……へー」
呆れたふうに相槌を打つ。
いや正直に言おう。
羨ましい。
2回戦ですら、経験がない。
旦那は終わったら、そのまま熟睡してしまう。
2回戦とまでいかなくても、
こっちはイチャイチャしたいのに。
馬鹿ップルの話を聞いて笑い転げたかったのに、
逆に何故か、余計心に風穴が空いた気がする。
心臓と肋骨の間を、冷たい風が吹いていく感覚に捉われた。

直美ちゃんが帰って、一人事務所に取り残されると、
なんだか世界で一人ぼっちになった気がした。
本当はもう外に誰も居なくて、
この狭くて汚い事務所に、一人だけ生き残っている。

誰にも愛されなくて、誰にも必要とされてない。
そんな風には考えたりしない。
馬鹿馬鹿しい。
中学生じゃあるまいし。
でも、愛されたい人に、愛されていない。
そんな泣き言は、脳裏を何度もよぎる。
愛されたい。
求められたい。
「馬鹿じゃないの……欲求不満の主婦じゃあるまいし」
そう一人ごちる。

「はぁ……」
直美ちゃんが帰ってから、はたして何度目の溜息だろうか。
数えるのも億劫だ。
不意に扉が開く。
「おつかれーっす。休憩変わってもらっていいですか?」
能天気な菊池君の声に、多少救われる。
「あいあい」
重い腰を上げると、菊池君が声を掛けてくる。
「そういやあの後どうなりました?旦那さんと」
「別に」
ついつい冷たく返事をしてしまった。
瞬時に反省。
単純に、心配してくれてるのに。
「いや一応気になっちゃって。すいません」
と真剣な雰囲気で謝られて、余計自分が情けなくなる。
「ん、こっちもごめん。あんがとね」
あたしの柔らかい口調に安心したのか、
菊池君はいつのも軽い感じに戻り、
「まぁアレですね。何か新しいプレイとかしたら良いんじゃないですかね?」
とセクハラを飛ばす。
直美ちゃんがいたら即座に裏拳が入っていただろう。
新しいプレイも何も、入り口で拒否されるんだからどうしようもないだろうに。
「はいはい」
あたしはいつも通り、軽くあしらって事務所を出ようとする。
その背中に、
「俺のAVとかでも良かったらいつでも貸しますんで」
と声が掛かる。
そのまま扉を閉め、レジに向かい、そして座る。
「AVか……」
何度か見た事はある。
学生時代に、友人同士が集まった部屋で、
顔を抑えた自身の両手の指の間からだけど。
でもいいかもしれない。
もしかしたら、あたしのベッド上での振舞いに、
問題があったのかもしれない。
いわゆるマグロ、というのではないと思う。多分。
うん。
そうしよう。
なんでもやってみよう。
あたしに出来るのは、自分を改善することだ。
勉強しよう。
誰も居ない店内を見渡すと立ち上がり、
そして事務所の扉をノックする。
「ね?さっきの話だけどさ。やっぱ貸してよ」

「ここで待ってるよ」
「いやそんな、悪いんで中入ってください。
 お茶くらい出しますよ」
あれから30分後。
トントン拍子に話が決まり、
何故か今、あたしは菊池君のアパートの部屋の前に立っている。
店は臨時休業。
適当すぎる。
まぁ、存在理由の9割が金持ちの道楽というお店だから仕方ない。
菊池君相手に警戒も要らないだろうと、
促されるままに部屋に入る。
「へー。意外と小奇麗じゃん」
「こう見えて結構家事好きなんですよ」
そう言いクッションを勧めてくれる。
あたしはそれに腰を下ろしながら、
「ふーん。そんな事言って、彼女が毎日来てんでしょ?」
と囃し立てる。
他人の恋愛話は面白い。
「いや、そんなの居ませんって」
「またまたー」
見た目は、まぁ、公正に判断して、
かなりイケてる方だろう。
この軽いノリも、若い女の子には受け易いじゃなかろうか?
「いや本当ですって。バイト先にグレード高い人が二人もいるんでね」
お、口が上手いじゃないか。
「おばちゃん持ち上げたって意味ないよー」
とカラカラ笑う。
この子といると、少し気が紛れるな。
沈んでいた気持ちが、少し楽しくなる。
「いやだから年齢そんな変わらないでしょ。
 それに花本さんマジでレベル高いと思いますよ。
 北川さんも中々ですけど、俺は花本さん相当良いと思いますね」
インスタントコーヒーをテーブルに置きながら、
何のてらいも無しにそう言いきった。
思いがけず、その言葉はあたしの心臓を直撃する。
男性からの寵愛から離れた半年間。
あたしの心は、免疫力とか抵抗力が、著しく低下していたらしく、
今まで異性のいの字も感じていなかった彼のその言葉に、
正直なところ、トキメキを感じてしまった、というやつだ。
とはいえ亀の甲より年の功。
慌てふためくことなく、澄ました顔でコーヒーをすする。
しかし砂糖を入れるのを忘れた。
今更なので、慣れないブラックを喉に流し込む。
多少の動揺は仕方ないか、と自己弁護。

「えーっとね。この辺のがいいかな。
 軽めのがいいですよね?」
机の引き出しをごそごそといじる菊池君。
なんだ軽めって?重いのとかあるの?
「よくわかんないけど、お任せします」
あたしの返事を受けて、あーでもないこーでもないと、
引き出しをまさぐる菊池君の背中から視線を逸らし、
改めて部屋を見渡してみる。
経済の本が沢山。
へー。
意外とちゃんと勉強してるんだ。
「ていうか一人暮らしなんだね」
「え?ああ。まぁ後学のために。
 っていうか自立しないとですし」
ちょっと見直した。
ただのボンボンではないんだな。
臨時休業とか簡単にするけど。
ま、ここ何日かお客なんて殆ど居なかったしね。

菊池君はようやく立ち上がると、
「これで良いですかね。フェラ多いしモザイク薄いし。
 勉強になるんじゃないですか?」
そう言いつつ、DVDを渡してくる。
パッケージには、半裸の若い女の子が、
その、なんだ、口でしてあげてる写真がでかでかと載っていた。
「ふーん」と興味無さそうに手首を返して、
表裏をささっと何度も見る。
顔は赤くなってないだろうか。
内心
(うわ、うわ、うわーーー!)
と叫び倒している。
「ま、いいんじゃない?」
大人の余裕をなんとか演じきる。
すると菊池君から想定外の提案。
「一回試しに見ときます?」
「え?ここで?いやいいよそんなの」
「いやでも気に入らなかったらあれですし」
あたしの手からDVDを掠め取ると、
そのままデッキに入れた。

あたしは咄嗟の出来事にいまいちうまく対応が出来ず、
呆気に取られながらも、画面に釘付けになった。
(ま、いいか。試聴くらい)
関心が無いはずがない。
年頃の女なのだ。
旦那云々関係なしに、興味がある。

お、なかなか可愛いじゃない。
ていうか普通に可愛いな。
最近のはこんな可愛い子がAVとか出ちゃう時代なのか。
初恋とか初体験色々聞かれてる。
どうせ殆ど嘘なんだろうけど。
いつからおっぱい大きくなったとかどうでもいいでしょうに。
ついつい鼻で笑ってしまう。
え?いきなり脱いじゃうの?
あ、あらあら。
スタイルも良いじゃない。
え?え?
いきなりそんな……
え?何それ?オモチャ?何それ?
うわ、男優さん超腹筋割れてる。
ていうかボクサーパンツのその膨らみ……
え、パンツ取っちゃうの?
うわ、でかっ。
あんなの入らないって。
絶対痛いだけだって。
うわ、フェラチオいやらしい……

どれだけの時間が経ったのだろうか。
5分?30分?1時間?
わからない。
ただあたしの頭の中は遊園地のコーヒーカップのように、
ぐるぐると回っている。
いつの間にか、生まれて初めて観たSF映画のように魅入ってしまっていた。
隣をふと見ると、菊池君がにやにやしながら、
「結構気に入ったみたいですね」と茶化してくる。
あたしは咳払いをすると、
「ま、まぁまぁなんじゃないの?」
とわけのわからない虚勢を張った。
「それにしてもこの男優さんめちゃくちゃデカイですよね」
「そ、そうね。大きければ良いってもんじゃないわよね」
「そうなんですか?」
「ま、まぁ、そこそこがいいかなっていうか……あはは、
 ていうかあんた、それ完全にセクハラ」
「一緒にAV観てて今更……
 そういえば、俺も結構でかいんですよ?見ます?」
「見ません」
馬鹿じゃないの。
流石に鼻で笑う。
「いやいや。折角なんでほら、ちょっと見てくださいよ」
「や〜め〜てよ〜」
いつものノリのセクハラかと思って笑って対応する。
しかし彼の股間には、なにやらテントのようなものが。
その事象に、思わず頭がかぁっと熱くなる。
え?勃ってるの?本当に?
やだ……
ていうかあたし、視線を逸らせない。
うわ、すご。
本当におっきいのかも。
ごくり。
ついつい生唾を飲み込む。
そんな一瞬の隙をついて、
菊池君が肩を抱いてきた。

「え、やだちょっと」
そのまま体重を掛けられ押し倒される。
痛みとか嫌悪感よりも、
久しぶりの男の人の匂いや、
身体の硬さを先に感じ取ってしまう。
耳元で
「いいでしょ?」
と囁かれる。
馬鹿。
いいわけない。
離して。
叫んでやろうかしら。
そんな思いとは裏腹に、あたしの手は、
軽く彼の肩に添えられているだけだ。
これを『抵抗』とは誰も表現しないだろう。
「期待してたんでしょ?こんな展開」
そう言いながら、彼の手があたしの胸元をまさぐる。
そんなわけない。
そんなわけがない。
でも、
もしかしたら、
ほんの片隅に、
塵ほどの、
そんな気持ちも、
あったかもしれない。
ごつごつした、男の人の手に乳房を強く揉まれる。
その久しぶりの感触に、つい吐息が漏れてしまう。
TVからは、女の子の喘ぎ声。
気持ち良さそうな声。
演技かもしれないけど、でも、羨ましい。
あたしも……
菊池君の手がリモコンを消して、
部屋には静寂が訪れる。
いや違う。
彼の息遣いと、鼓動。
そしてあたしのそれが交じり合って、
心なしか余計五月蝿くなった気すらする。

首筋にキスをされる。
彼の手は、もうブラの下に入り込んできた。
あたしの両手は、既に万歳してしまっている。
駄目。
拒絶しなきゃ。
そして帰って、いつもみたいにあの人に『おかえり』って言わなきゃ。

それでいつもみたいに、ただ一緒に寝る?

なに馬鹿なことを考えてるんだろう。
不満なんて、あるわけないのに。
不満?
不満なの?

彼の手が、ジーンズのしたに潜り込んでくる。
彼があたしの陰部を触った瞬間、「にちゃっ」と音。
恥ずかしくて、顔が爆発してしまいそう。
何が抵抗だ。
身体は、すでに、男の人を、受け入れる気満々だ。

菊池君に促され、上半身を起こされる。
向かい合って座る。
顔が近づいてくる。
駄目だ。
ごめん。
キス、したい。

しかし唇が重なる瞬間、あたしは顔を伏せて避けた。
もう自分で自分がわからない。
一体どっちなんだろうか。
彼を受け入れるのか、そうでないのか。
いや、わかりきっている。
受け入れたい。
でも、
受け入れたくない。
それは矛盾じゃない。
じゃあ何なんだろうか。
わからない。

残念そうな表情を浮かべながらも、
菊池君はあたしのジーンズのファスナーを下げて、
再度指を陰部に潜り込ませてくる。

「俺のも、触って」
片手で自分のファスナーを下げると、
一気に自分のそれを、取り出した。
ぼろん、と音がした気がした。
大きい。
すごい。
さっきのAVみたいだ。
見るからに、ガチガチに硬そう。
反り返ってて、ビキビキに血管が浮き出てる。
先っぽは破裂しそうなくらい大きく膨張しててテカテカに光っている。
何より、男の人の匂いが、
一気に鼻元まで駆け上がってきた。
クラクラする。
指先で突付いて見る。
すごい重量感。
鉄の棒みたい。

あたしの目をじっと覗き込み、
「ずっと、好きでした」
と囁かれる。
馬鹿。
そんなの、反則。

再度、彼が顔を寄せてくる。
ごめん。
キス。
一回。
二回。
啄ばむようなキス。
三回。
そっと彼の肉棒を、手の平で包み込む。
四回。
五回。
やっぱり、硬い。
こんなの、知らない。
熱い。
こんなのでエッチしたら、きっとおかしくなる。
欲しい。
嘘。
だめ。
やっぱ無し。
欲しくない。
そう。
だって、愛してる人がいるから。
裏切れない。
そう思いながらも、
六回目のキス。
今度は長い。
舌が入ってくる。
嬉しい。
いやいや違う。
馬鹿。
嬉しくなんてない。
でも、
気持ち良い。
最初はお互いの出方を伺った遠慮した動き。
そしてやがて、ぬるぬるとナメクジみたいに絡めあう。
あたしの手は、完全に彼の性器を、優しく愛撫している。

彼の唇が離れる。
つい無意識に追いかける。
七回。
八回とキス。
彼の手が、あたしの頭を抑える。
無言。
車の音が、たまに聞こえるくらい。
あとは、もう何も聞こえない。
鼓動も、息遣いも。
ただ、ぐらぐらと揺れる視界だけ。
彼の手に促されるように、
あたしは顔を、彼の下半身に近づける。

違うの。
これは愛撫とかじゃない。
これは、えっと、そう。
口で出してもらって、それで落ち着かせるの。
だから、浮気じゃないから。
押し倒されないように、するだけだから。
ほら、男の人って、力強いし、抵抗しても、無駄だから。
彼の先端に、キスをする。
既に、透明の液体が尿道から溢れていた。
久しぶりの、男の味。
全身の肌が泡立つ。

間近で見ると、その逞しさに、胸がときめて仕方がない。
咥えたい。
ごめん。



「はーあ」
「どうした?わかりやすい溜息ついて」
「別に」
「何だよ水くさいな」
そう言い肩を叩いてくる同僚を見る。
頼もしい、とは思わんが、
それでも気遣いは嬉しい。
少し相談してみるか。
「いや、友人の話なんだけどな」
「うん」
「友人の話だぞ?」
「わかったよ」
「なんかさ、あれだ。EDってやつになっちゃったらしくてさ」
「へー。そんなの本当にあるんだ」
「ああ。友人の話なんだけどな」
「なんでお前が落ち込んでんの?」
「え?いや、ほら、あれだ。付き合い長い友人だからな」
「ふーん。ま、でも今なら治療とかあるんじゃねえの?」
「……だよなー」
「まぁいいじゃねえか。それくらい大した事じゃねえよ」
「それくらいって何だ!」
つい声を荒げてしまった。
「お、おい。落ち着けよ。何でお前が怒るんだよ」
「あ、ああ。悪い。ま、まぁ、付き合い長い、からな」
同僚にまで八つ当たりして、どうしようもないな俺は。
溜息をついて、休憩室の窓から空を見上げる。



「花本さん。いいっしょ?」
「……ん」
我ながら名残惜しそうに、口をペニスから離す。
思っていた以上に硬く、そして雄雄しかった。
あんまり力強いものだから、
もう少し口と舌で愛でたかった、
という想いにかられてしまう。
当然、愛する人への申し訳ない気持ちでも胸が一杯。
でも、抑えられない。
自分を、これ以上誤魔化せない。

ゴムを着ける菊池君の背中に、
「……一回、だけだからね」
と念を押す。
返事は無い。
ベッドの上に押し倒される。
フェラ中に、既に全裸にされている。
そう、一回だけ。
一回だけだから。
正常位。
おっきな先っぽを、あたしに当てがっているのがうっすら見える。
久しぶりに、他人が自分の中へ入っているくる感覚。
柔らかい肉をおしのけて、硬い肉が割り込んでくる。
熱い。

ごめんね。
違うから。
浮気とかじゃないから。
「あっ」
だって、愛情なんて、これっぽっちもないから。
こんなの、ただの、性欲処理だから。
ていうか、無理矢理だし。
「あっ、あっ、ああっ、すごい、ん、かた…い」
あなた以外に、そんなの無いから。
愛情とか、ないから。
だから、これは、エッチとかじゃないから。
「あっ、あっ、あっ、んっ、あっ、あぁんっ」
気持ち良くなったりしないから。
本当だよ。
声は、ちょっと出るかもだけど、
そんなの生理反応だから。
心は、ずっとあなたのこと考えてるから。
「んっ、んっ、あっ、いっ……すごっ、あっ、あっ、あぁん」
だって、だって、愛してるから。
あなたのこと、愛してるから。
裏切ったり、しないから。
「やっ、だぁっ、あっ、おっきぃ……あっ、はっ、あぁん、あっ」
だから、一回だけ。
一回だけ、この子と、その、あの、しちゃっても、いいよね?
「あっ!あっ!あんっ!そこっ!あっ!だめっ!あっ!はっ!」
終わったら、全部忘れるから。
この子との事。
ちゃんと、あなたの事を、一番に考えるから。
「ああぁっ!すごい!おく!おく当たる!そこだめ!だめなのっ!」
帰ったら、あなたの好きなおかず、
いっぱいいっぱい作るから。
「あっ!あっ!んっ!……はぁ、ん、んっ!あぁんっ!」
ちゃんと、おかえり、って言うから。
ばっちり化粧して、可愛い格好して、
それで、あなたの事……
「あっ!あっ!あっだめっ!……いっちゃう!だめ!いっちゃう!」
ごめん。
少し、
少しだけ、だから。
一瞬だから。
すぐに、あなたの事だけを、考えるから。
「いっちゃう!……いっちゃう!……はっ、はっ、はっ、はっ」
ちょっとだけ、だから。
ごめん。
ごめんね。
「いくッ!……いくいくいく!……あああああぁっ!!!」

久しぶりの絶頂。
気を失うかと本気で心配した。
身体は、菊池君に「大丈夫?」と心配されるほど、
大きく仰け反り、そして激しい痙攣を続けた。

口元から涎が垂れているのが自分でもわかる。
でも、拭う気にはなれない。
というか、身体が動かない。
ああ駄目だ。
セックス、してるんだあたし。
他の男の人と、セックスしちゃってる。
気持ち良くなっちゃってる。
ごめんなさい。

挿入したまま、菊池君が顔を近づけてくる。
あたしの奥の方まで入りこんだ菊池君は、
いまだガチガチに硬いままだ。
本当、鉄の棒みたい。
熱した、鉄の棒みたいに熱くて、火傷しそう。
その硬さで、まだまだ、あたしを気持ち良くしてくれるんだ、
と思うと、菊池君に対して、頭がぼぅッとする感情が、浮かんでくる。

キス。
初めから、舌を絡めあう。
恋人みたいな、お互いの粘膜を求め合う、キス。
顔が離れる。
もっと、して、ほしい。
そんなあたしの思いとは裏腹に、
菊池君はあたしの腰を掴むと、
ゆっくりとピストンを再開する。

あたしの中の、硬く熱い菊池君が、
あたしの中を、掻き回す。
ぐちゅぐちゅと、いやらしい音が聞こえてくる。
恥辱感と同時に、恍惚。
またすぐに訪れる絶頂の予兆。

あたしの熱を帯びた視線の意味を気づいたのか、
菊池君は穏やかなピストンを継続したまま、
また顔を近づけてきてくれた。
嬉しい。
胸が、懐かしい気持ちに満たされる。
甘酸っぱい、というやつだっけか。
今度は、唇を重ね合わせ、すり合わせる。
お互い、目を開けて、視線を合わせたまま、
唇を味わい合う。

あなた。
ごめん、
ごめんね。
ずっと、
ずっと考えないようにしてたけど、
菊池君、
めちゃくちゃタイプなんだもん。



カタカタとキーボードを叩く音が響く。
いつもなら気にもならないただの環境音。
それを鬱陶しいと思うのは、きっと仕事に集中出来ていないからだろう。
最近、全ての調子が悪い。
嫁への申し訳ない気持ちが、どこか心にわだかまりを生んでしまう。
それがそのまま、余裕の無さになる。
焦燥し、無力感に陥る。
結果、悪循環。
駄目だな。
今度旅行でも誘ってみようか。
気分転換が必要だ。
デスクに座ったまま腕を回し、
肩の凝りをほぐす。
でも、心の凝りは取れない。
自然と溜息が多くなる。
窓の外に視線をやると、小雨が降ってきたようだ。



ぱしっ、ぱしっ、ぱしっ。
乾いた音が響く。
肉と肉がぶつかる音。
「あっ!あっ!あっ!あんっ!ああっ!……やだっ、はげしっ!」
あたしはお尻を掴まれ、
まるで犬みたいな格好をしている。
後ろから突かれ、犬みたいな格好で、
犬みたいな声で鳴いている。
キャンキャンキャンキャンと、
甲高い声で鳴かされている。
彼のはとても大きくて、
久しぶりに他人の侵入を許したあたしの中を、
奥まで容赦無しに突き上げる。
「あんっ!んっ!んっ!あっ!はぁっ!……んっ!あっ!あっ!奥っ!あっ!」
彼のはとても硬くて、久しぶりで狭くなってるであろう膣内を、
いとも簡単に広げていく。
「あぁっ!あっ!すごっ!あっ!こんな、初めてっ!……んっ!んっ!あっ!はっ!」
もう何度果てただろうか。
わからない。
ずっとイキっぱなしのような状態。
膣はずっと軽く痙攣してて、
彼の肉棒をきつく締め上げ続けているのがわかる。
だから余計に彼の形がわかって、
それが余計あたしの頭をかき乱す。
「やっ!だめっ!あっ!またくるっ!あっ!……いくいくっ!……あっあぁん!」
何度目かどうかなんて、どうでもいい。
もうずっと、真っ白。
自分が何者なのかとか、一番大切なものとか、
全部、真っ白。
涙がこぼれてる。
なんで?
こんな気持ち良いのに。
このまま、
ずっとこのままでいたいってくらい気持ち良いのに。
なんでだろ。
顎が疲れてる。
ずっとだらしなく開きっ放しだから、じん、と痺れてきてる。
「あっ、まだ……あっ!あんっ!だめっ!あっ!まだだめっ…だって」
いとも簡単に、身体の支配権を奪われる。
ちょっと腰を動かしてるだけなのに。
「可愛いー」
そんな声が、後ろから聞こえてくる。
ぱん、ぱん、ぱん、という音と一緒に聞こえてくる。
可愛い?
本当に?
本当かどうかなんて、どうでもいい。
嬉しい。
気持ち良いし。
さっきお腹に出された精子が、乾いてカピカピになっている。
少し変な感覚。
でも不快じゃない。
彼があたしを突く度に、
自分の胸が大きく揺れる。
あまり好きじゃない、自分の胸。
いつもじろじろ見られる。
「あっ」
さっきまでお尻をぎゅっと掴んでいた両手で、
揺れる胸を掴まれる。
丁度ブラみたいな役割になってくれる。
包まれるように手の平いっぱいで揉みしだかれる。
それでも、手の平から肉が零れる。
「でけー」
楽しそうな、菊池君の声。
すごい、不快。
でも、同時に優越感。
自分でもわけがわからない。
女としての、劣等感と優越感が混ざり合う矛盾。
「やっ!あっ!あっ!んっ!……はっ!はっ!あぁっ!んっ!はっ!」
「あーやべ」
菊池君のその言葉を皮切りに、
ピストンの激しさが増す。
もう抑えてもらってないと、
犬のような体勢すら維持出来ない。
下半身の感覚が無いのだ。
それなのに、奥を突かれる度に、
背中を甘い電流が、激しくかき乱す。
「あああ……ああぁ……」
呻き声しか出ない。
ここはどこだっけ?
あたし何してるんだろう。
でも気持ち良い。
気持ち良すぎる。
硬くて、大きな何かが、あたしの奥まで入ってきて、
あたしを串刺しにしてくる。
喉から突き抜けるんじゃないかってくらいの圧迫感。
なんでこんな気持ち良いんだろう。
馬鹿みたい。
「……ごめん」
カラカラに乾いた喉の奥から、
不意にそんな言葉が漏れる。
掠れ切った声。
どういう意味だっけ?
そうだ。
謝罪だ。
何に対して?
わからない。
硬くて大きい、他人の肉が、一瞬膨張した気がして、
そしてその直後、あたしの中から消える。
そして背中に熱い感触。
お湯をかけられたみたい。
まず最初に大粒の雨に打たれたみたいな感触。
それは徐々に、小さな粒に変わっていく。
背中全体を、濡らされていく。
飛び散っているのが、見なくてもわかる。

支えを失ったあたしの身体は、
前のめりにベッドに倒れていく。

「……すご、すぎ」
また勝手に言葉が漏れる。
「良かった?」
髪を撫で、そう尋ねてくる若い男の子。
引き締まった身体の、格好良い若い男の子。
この人が、さっきまであたしの中に入ってきて、
愛してくれてたんだ。
優越感。
キス、したい。
その想いは無意識に言葉に出たのだろうか。
彼は唇を、優しく重ねてくれた。
「綺麗にしてくれる?」
そう言いながら、腰を顔に近づけてくる。
断れるわけ、ない。
卑怯だ。
これだけ、気持ち良くしてくれて、
そのお願いを断れるわけがない。。
あたしはフラフラと上半身を起こし、
少しゴム臭い彼のペニスを、
未だ鳴り止まぬ鼓動を抑え切れぬまま舐め上げる。

尿道から微かに漏れ出てくる精子を舐め取りながら、
うっすらと雨音が聞こえてくる。

「本降りになってきちゃったね」
咥えるように亀頭にキスを続けるあたしの頭を撫でながら、
菊池君が言葉を続ける。
「もうちょっと、時間大丈夫?」
少し冷静さを取り戻したはずのあたしの頭は、
その言葉の意味を理解しながらも、
彼を咥えたまま、頷いた。
「次は、騎乗位で良い?」
柔らくなっても、依然その硬さと、
そして大きさを示唆するペニスを咥えながら、頷く。
「腰、振れる?」
根元まで咥え、指で優しく睾丸を撫でてあげると、
まだ尿道から、苦い液体が漏れ出てくる。
大した量じゃないから、そのまま嚥下する。
「腰振れる?」
同じ事を聞いてくる。
あたしは、一瞬ペニスから口を離し、首を横に振った。
立てるかどうかもわからないのに、そんな事出来るわけない。
「じゃ、下からガンガン突いて良い?」
その言葉に、落ち着いた鼓動が再び高鳴る。
口から離し、目前にある彼のペニスは、
完全に勃起している状態とは程遠いのに、
その威圧感は、とても雄雄しく、そして力強い。
あたしは彼の問いに小さく頷くと、
誰に言われるでもなく、また咥えて、
そして口腔内で、舌を絡めて愛撫する。
また硬くなってくる。
もう3度目なのに。
すごい。
本当、すごい。
ていうか、3回戦とか、初めて。
やがて彼が、口の中で膨らんで、咥えるのがしんどくなる。
その事実に、胸が締め付けられる。
菊池君は、依然頭を撫でてくれている。
あたしは、雨音を聞きながら、
一番大切なことから目を逸らし、
目の前の、逞しいペニスの事だけを、考えるようにした。
そうじゃないと、卑怯な自分を、許せなくなるだろうから。



「うわぁ、土砂降りになっちゃってるな」
「そうだなぁ」
同僚と肩を並べて、オフィスの窓から外の景色を眺める。
「こりゃ雨宿りついでに残業してくかな」
「そうだなぁ」
やはりどことなく、気合が入らない。
俺はポケットからスマートフォンを取り出すと、
嫁にメールを送った。
「お、愛妻へのメールってか?」
肘で突付かれ茶化される。
「まぁ残業の時くらいはな。待っててもらうのも悪いし」
そう返事をしながら、
『残業します。晩飯は社員食堂ですませるから。
 もしもう作ってたら置いといて。
 食べるから』
と文を作成し、そして送信した。
「さて。それじゃもうひと頑張りしますか」
同僚が伸びをしながら、踵を返してデスクに戻っていく。
俺はそれを見届けると、もう一度土砂降りの空を見上げた。


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