454 名前:この夏の向こうまで ◆7UgIeewWy6 投稿日:2007/08/22(水) 20:51:07 ID:mfBj3WF/
1.

突然、凄いヤツが、隣町にある羽島高校の水泳部に出現した…とは噂で聞いてた。
インターハイを目指す俺にとっては、ライバル。もちろん関心を引く話だ。
水泳の華。100メートル自由形。
俺、冨田忠志の現在のベストタイムは53秒12。
この1年で、全国に手が届くまでタイムを伸ばしてきた。
昨年は悲願のインターハイ出場をギリギリで逃した俺にとって、
高校3年のこの夏が、最後の夏だった。
「三島ってヤツらしいぜ。なんと高2だってよ」
さっそく情報を収集してきたらしい同じ水泳部の田中が、部活の最中に話し掛けてきた。
「昨年まではアメリカにいたらしくてよ、今年、日本に帰ってきたらしい」
「帰国子女か」
「52秒台を出したとかいう噂だぜ」
「マジかよ」
「東峰学園の池田と鳥谷だけがライバルだと思ってたのにな、忠志」
「…バカ。ここまで来て、そんなポッと出の、しかも1年後輩に負けてたまるかよ」
闘志が湧いてきた。俺は飛び込み台に立つと、水飛沫を上げてプールに飛び込んだ。
水の中。この青い世界が好きだ。自分の限界までスピードを上げていく。
どこまでも、どこまでも行けそうな気がする。水の抵抗も味方にして、追い越して、
そして、夏の向こうまで。必ず行ける。
そう思っていた。

「夏樹!」
夕暮れの校門で待っている夏樹に、俺は呼びかける。
セーラー服姿の夏樹が振り返る。ショートヘアを揺らし、ニッコリと笑った。
「お疲れ!忠志。今日も頑張ってたじゃん!」
小麦色の肌。半袖から伸びる腕が、健康的で眩しい。
水野夏樹。
陸上部で女子のエースとして活躍している彼女は、走り幅跳びの選手として
俺と同じく、インターハイ出場を目指している。
そして、俺の…ガールフレンド以上、恋人未満って存在。
幼稚園の頃からの幼馴染で、腐れ縁なのか、高校までずっと一緒にいる。
隣近所の親同士が仲が良く、兄妹のように育ってきた。
年頃になってから、お互いを男と女として意識しないわけじゃなかったが、
どうにも幼馴染ってのは面倒なもんで、いざとなると照れて素直になれない。
お互い、内心では好きなことを分かっていながら、言えずにいる。
だからこれまでお互い、彼氏や彼女なんか持ったこともない。
学校でも、どうやら俺たちは公認のカップルってことになってるらしい。
俺は、自分の「初めての相手」は夏樹だ、と決めてる。
夏樹も…そう思ってくれているに違いない。
でも、そのために、まずはこの夏だ。
インターハイに出場を決めて、夏樹にこの10数年の想いを告白する。
俺は、そう決めていた。

455 名前:この夏の向こうまで ◆7UgIeewWy6 投稿日:2007/08/22(水) 20:52:09 ID:mfBj3WF/
2.

その日は、夏樹とふたりで晩飯にカレーを食った。夏樹手づくりの。
俺と夏樹の両親が「夫婦たちの日」とかを勝手に作って、フランス料理の
コースだかを食べに出かけたせいだ。
「ほんと、バカ親!」
夏樹は笑いながら言うが、俺とふたりってことが、満更でもなさそうだった。
お互い、隣同士の互いの家を行き来する間柄だし、親同士も仲が良いから、
夏樹と晩飯を食うのは珍しいことじゃない。
でも、ふたりっきり…というのは、そう言えば、最近はなかったっけ。
自分の家に一度帰って、シャワーを浴びてきたらしい夏樹は、
短パンにピンクのTシャツだけっていう、ラフな格好。
…でも、なんだよ、そのふとももとか、腰付きとか、反則だろ、って思う。
俺だって、同じような格好してるわけだけど。
エプロンを付けてキッチンに居る夏樹に思わず見とれていたら、釘を刺された。
「…なんだ?じーっと見て。二人きりだからって、襲うなよっ」
「は?バカ。あのオテンバ娘でも料理するんだなーって、思ってただけだよ」
「ふん。食べさせてあげないぞ。こう見えても、お母さんにいろいろ習ってんだから」
軽口を叩き合ってるうちに、カレーが出来上がる。
テーブルを挟んで、二人で食べる。
俺が最初に口に運ぶのを、じーーっと夏樹が見つめてる。一応、緊張してるらしい。
「…ど、どお?」
「……ん。美味いよ」
俺が言うと、ぱぁっと向日葵みたいに笑った、
「…そっか!よしよし、うんうん!」
安心したように夏樹は食べ始めた。
「…なあ」俺は聞く。
「ん?」
「夏樹は、インターハイ…行けそうか?」
「うん!頑張るよ。絶対行く。忠志も、頑張んなきゃダメだよ。一緒に行くんだから」
「…おう」
「忠志なら、絶対行けるよ。この一年、頑張ってたもん」
夏樹がそう言うなら、大丈夫な気がする。
夏樹がそう言ってくれるなら、俺は絶対に負けない。

456 名前:この夏の向こうまで ◆7UgIeewWy6 投稿日:2007/08/22(水) 20:53:04 ID:mfBj3WF/
3.

突然、羽島高校の水泳部から合同練習の申し込みがあって、その日の
我が名桜高校水泳部は、皆、かなりの興奮状態だった。
噂を聞きつけて、プールサイドには見学の生徒たちが鈴なりになっている。
「県予選前に、殴り込みかよ、おもしれえ。やってやろーじゃねえの!」
田中が息巻いている。でも、俺は冷静だった。
ただ、その1年後輩の三島ってヤツを見てみたい。そう思っていた。
やがてプールサイドに、スイムウェアを付けた羽島高校のメンバーが現れだす。
引率の教師が、こちらの部長先生に挨拶をしている。
(…どれが三島ってヤツだろ)
そう思っていると、プールサイドをスタスタとこちらに向かってくる男がいる。
172センチの俺より…背が少し、高い。
細身のくせに、その身体は、相当鍛えていると一目でわかる筋肉の付き方をしている。
サラサラとした茶髪を、片手でふわっと掻き揚げた。
身体は立派だけど…0.1秒を競う競技で、この髪型はありえないだろ?
「…冨田さんって、どちらですか?」
そう聞いてきた。間違いない。こいつが、三島。
「俺だけど」
俺は前に出た。周囲が互いの高校のエースの邂逅に、固唾を飲んでる雰囲気が伝わる。
「…俺、三島尚哉です」
1年後輩とは思えない落ち着いた雰囲気を漂わせ、静かに言う。
「…速いんですってね。どの程度か、見せてもらうのを楽しみにして来ました」
…カチンと来た。
「俺が冨田忠志。よろしくな」
手を差し出す。三島がその手を握り返してきた。握り負けそうになる圧迫があった。
(…こいつ!)
そう思ったとき、背後で声がした。
「忠志!」
振り返ると、金網越しに、陸上部のユニフォームを来た夏樹がいた。
「頑張れ、忠志!応援してるぞ、負けるなっ」
夏樹が手を振った。夏樹、サンキュ。これで勇気百倍だ。
「…彼女さんですか?」
その時、三島が俺の肩越しに、夏樹を見た。
何か、胸騒ぎがした。こんな男に夏樹を見られるだけでも、イヤだった。
「どうでもいいだろ。とにかく、勝負といこうぜ」
「…そうっすね」
三島が夏の青空の下で、薄く笑った。


457 名前:この夏の向こうまで ◆7UgIeewWy6 投稿日:2007/08/22(水) 20:54:00 ID:mfBj3WF/
4.

人気のなくなったプールサイド。俺はまだそこに座り込んでいた。
…完敗だった。
100メートル自由形の勝負。俺は、どんどんとヤツに離されていく自分を
感じながら、どうにも出来なかった。ヤツの足だけが、水の壁の向こうに見えていた。
「…俺の勝ちっすね」
俺がゴールした時、三島はとっくに濡れた髪を掻きあげていた。
信じられなかった。この一年、人の3倍、いや、4倍の練習をしてきたはず。
「体調悪かったんじゃないですか?今のがベストですか?」
「…なに?」
「あ、気を悪くしました?すんません、口悪くて…。んじゃ、握手お願いします」
三島は人を食った態度で笑いながら、勝負後の握手を、求めてきた。
それに応じないなんてブザマな真似は、そのときの俺には出来なかった。
俺の手がヤツの手の中に吸い取られ…そして、ぎゅううっと握り潰されていた。
俺は、ようやく聞いた。
「…どれくらい水泳やってるんだ?」
三島はニヤリとした。聞いて欲しかったというように。
「…3ヶ月ですよ。アメリカでは、バスケばっかりやってたんで」
3ヶ月。
小学生の頃から泳いでいた俺が、3ヶ月の素人に負けたのか。
「…忠志」
声がした。俺はゆっくりと見上げる。夏の眩しい日差しが、夏樹の表情を影にしていた。
「…大丈夫、負ける事だってあるよ」
夏樹が、俺のそばにしゃがんだ。
「…残念だったね」
同情の響きが辛かった。
「次は勝てるってば」
夏樹の前で負けた。俺を信じてくれてる夏樹の目の前で。
「次?もう時間がないだろ!」
俺は思わず声を荒げた。夏樹がじっと俺を見つめる。
「県予選まで、もう2週間ないんだ。どうしようもないだろ!」
「忠志」
「あいつ、水泳やって3ヶ月だってよ。そんなヤツに、ずっとやって来た俺が…」
「忠志、トップにならなくてもいいんだよ、3位までに入れば…」
夏樹がそう言って、俺はつい、苛立った。
「そんなんじゃ意味ねーんだよ!」
「忠志」
俺は立ち上がった。これ以上、同情されたくなかった。夏樹にだけは。
この世界でただひとり、夏樹にだけは。
俺は身体を翻すと、夏樹をプールサイドに残して、更衣室へ歩き出した。
夏樹の哀しげな視線を背中に感じながら。

458 名前:この夏の向こうまで ◆7UgIeewWy6 投稿日:2007/08/22(水) 20:55:59 ID:mfBj3WF/
5.

三島に負けたことでスランプに陥った俺が、インターハイ予選で負けたのは
仕方のないことだったかも知れない。
精神的に立ち直るには、時間がなさすぎた。
俺は、県予選でまたも三島に惨敗し、結局、県内5位に終わって、インターハイの
出場権までも逃した。
俺の夏は、これで、終わったんだ。
どうしてこんなことになったのだろう。俺はずっと胸の中でその問いを繰り返していた。
夏樹は、女子陸上の走り幅跳びで、見事、インターハイの出場権を掴んだ。
でも、何もかもが無駄だった。俺は虚脱してしまっていた。
「応援に来てよね」
インターハイに出かけていく朝、夏樹は俺の部屋にやってきて言った。
「忠志の分まで、頑張るからさ」
黙っている俺に、夏樹はさすがに怒った。
「…いつまで落ち込んでるんだよ!そんなの忠志らしくない!バカ!」
俺を元気付けようとしてくれてるのは分かったけど、身体に力が入らなかった。
だって、この夏の為だけに、俺は頑張ってきたんだから。

そして、夏樹が出掛けていったインターハイも、今日で終わる。
俺は、自分の部屋のベッドに仰向けになって、天井を見つめていた。
大会の間、夏樹から連絡はなかった。電話も、メールも。
夏樹が全国4位に入賞したことは知っていた。
その時だけ、「おめでとう」と頑張ってメールを送ったけれど、返事はなかった。
「…怒ってるのかな」
天井に向けて俺は呟いた。
今夜、夏樹が帰ってきたら、謝ろう。いつまでも落ち込んでいても仕方がない。
水泳人生が終わったわけじゃなかった。まだ、大学がある。
ようやく、そんなふうに考えられる自分がいた。
夏樹が戻ってきたら、思い切り肩を叩いて「やったな!おめでとう!」と
言ってやろう。
きっと、夏樹も心からの笑顔を見せてくれる。
そうして、ここしばらくの自分の行動を素直に謝って…もう一度、色々とやり直そう。
そう思った。
もう、何もかもが、遅かったことなんて、知らずに。

夏樹は、インターハイから帰って来たその日、俺の家には来なかった。
(…明日、来るつもりなのかな。)
でも、土産くらい今夜のうちに持ってきたっていいのにな、と思う。
俺は、深夜、自分の部屋のカーテンを開けて、隣家の2階の夏樹の部屋を伺ってみた。
カーテンが閉まっている。でも、灯りが点いていた。
帰ってるんだ。
「お帰り」とメールを送ろうか。でも疲れているのかも知れないな。
『お帰り!今、窓からそっち見てるぜ。窓、開けてくれよ』
携帯メールの文字をそこまで打ち、俺はしばらく考えた。
そして結局、そのままメールを消去して、カーテンを閉ざした…。

俺は知らなかった。
夏樹がその時、携帯電話を握り締めて荒い息をついて、自分の耳に当てていたことも。
自分の部屋のベッドの上で、電話の相手の声に操られて、真っ裸になっていたことも。
大きく、その両脚を開いていたことも。
まだ幼い乳房のてっぺんで、桃色の乳首が、固くツンと尖っていたことも。
携帯電話を持たない右手の指先が、その股間の女の部分に深く潜り込んでいたことも。
夏樹を、思うままに翻弄している相手も。

…俺はまだ、何も知らなかった。

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